カテゴリ:モスクワ( 22 )

こんな夢を見た081017

夜にあまりにもリアルなこんな夢を見てパッチリ目が覚めてしまった。

ひょろーっとしたカプチョーニに良く似た人が何の脈絡もなく、
エレベーターに同級生らしき人二人と一緒にいた私を
じーっと穴のあくほど凝視しながらこう言った。

「モスクワ一の夜景が見えるアパートがあるんだ、連れてってあげるよ!」

返事もしていないのに、エレベーターからひょいっと飛び降り、
丘か山のような凸凹している所を、
足下の砂に足を取られそうになりながらぴょんぴょんと
ジャンプしながら急いで降りていく羽目になった。

夜道なので、飛び移る場所の見極めや
タイミングを計るのに結構ハラハラしながら。

それでもそうやって月明かりに照らされながら、
結構なスピードで飛んで移動するのは心地よかった。

そうして着いたのはダーチャのような小屋だった。

「あれ、夜景とかって言ってなかったっけ???」(ま、いいか。)

灯りがすでに点いていたので誰かが中にいたはずなのに、
入ってみると誰もいない。
中に入った途端、さっきまで一緒にいたはずの
同級生二人は姿を消していた。

誰も夜景の話なんて最初からなかったように、
その小さな、ほわーっとした灯りの点された部屋で
寛ごうとしていた。何と言うか、そこは初めて来たところではない
親密な懐かしい感じのする部屋だった。

それはそうと、私はさっきから気になっていたことを
勇気を出して聞いてみよう、と心に決めた。

「ねぇ、何で足にきのこが生えてるの?
実はさっきから気になってたんだけど。」

「あ、これ?医者が言うには頭がお腹のきのこを
楽しそうに食べたせいで、それが
頭の中で育っているらしいんだ。」

と、理屈の通らない説明をしながら、
男はソックスを脱ごうとしている。

きのこがソックスに引っかかるようにしてしなり、
ぴょこん、とまた真っすぐ元に戻った。

確かにえのきのような細いひょろひょろした
キノコが足の甲にたくさん生えているではないか・・・

それは何だか滑稽でもあり、とても悲しくなる光景でもあった。

「キノコになってしまうの?」

「うん、そうかもしれない。」

それを聞いて、この人がキノコになったとしても
大事に育ててあげよう、鉢植えにして。
と心から思った。


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by zaichik49 | 2008-10-23 17:56 | モスクワ

モスクワ→ベルリン


そんな訳で今回の全ての試み(移住・就職・同居 etc.)は悲しくなるほどあっけなく幕を閉じた。初めてモスクワを訪れたのが95年の冬だったから、ベルリンに住みながらモスクワの訳の分からなさやモスクヴィッチに恋焦がれていたのが5年くらいということになる。

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さて、日本大使館からの帰り道にベルリンに帰る決心をし、クリニックで「帰る事にしたよ。」と宣言すると、年配のアメリカ人のドクターは二通の手書きのレターを見せてこう言った。「これを、クリニックマネージャーとエリアマネージャーに渡そうと思うんだ。これで問題ないかい?」

そこには彼らしい言葉でいかに"this Japanese young lady"がクリニックにとって貴重な存在か、ということが延々と述べられていた。正直言って、読んでいて照れるほどだった。その時の手紙は(何と彼は手書きで同様のレターを二部用意してくれていたのだ)今でも大切に取ってある。

勿論、シビアなマネージャーたちにそんな愛情のこもったレタ−など効き目があるわけもなく。そして、それを聞いたNASAマンは「そんなことしちゃったの?オーマイ・ガっ!逆に彼の立場がマズくなるよね。」「私もそう言ったんだけど、聞いてくれなくて。どうしよう?」「彼らしいよね。仕方ないよ。今日、終わったら皆でご飯食べに行こう。」

この二人のアメリカ人のドクター、全くタイプが違うのである。

夕食をNASAマンの同僚たち数人と取ったのだが、皆がとても優しくて何だかモスクワを離れるのが勿体なくなってしまった。ある場所を去る時というのは、そんな風にいつもより少しセンチメンタルになるものである。NASAマンは「もう、フライト確保しちゃったの?本当に帰るの?」と"definitive?"を連発していた。

それにしても、たかだか半年未満のモスクワ生活では、今まで経験したことがないほど、色々なことが一度に起こった気がする。感情の波や気持ちの上での変化、日常生活の中での事件、環境の変化など、どれを取っても過剰なくらいだった。

就職と解雇、プロポーズと拒絶、近い友人が打たれ、命を取り留め、新しい友人と別れ、住居確保と再度の引っ越し・・・

たまにそんな風にして、自分では抗えない流れのようなものが起きることがある。
ベルリンに行こうと決めた95年もそうだった。あの年は、阪神・淡路大震災やサリン事件が起きた年だった。

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ベルリンに戻ったのは2001年の6月末だった。これも不思議なことに、ベルリンの私のアパートに住んでいたロストック出身のドイツ人がベルリンでの生活に合わず、ロストックに戻ると決めたタイミングが丁度その頃だったからだ。

大量の荷物と共にモスクワから引き揚げたせいで、ベルリンのシューネフェルド空港には何とか到着したものの身動きが取れず途方に暮れてしまった。困り果てた挙げ句、ベルリン在住の一番長い日本人の知り合いにSOSを出した。「荷物が多すぎて、動けないから助けてもらってもいい?」

実は頼んだ本人がこのことをすっかり忘れていて、最近助けてくれた友人に話を聞いて思い出したのだが、自分の中でこの日のことは辛くて葬りさられた出来事だったようだ。ただ、今でも理解できないのはどうやってモスクワの空港まで辿り着いたのか、ということである。記憶がごっそり抜け落ちてしまっているのが何とも不思議だ。

何とかベルリンの小さな日当りの余り良いとはいえないアパートに戻り、テレビも洗濯機もないことに気が付き愕然とした。何と言うか、生活感の全くないアパートの様子に軽くショックを受けたのである。

だから、9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こった時にも、すぐにテレビを見る事が出来なかった。ただ、その日にNYへ行こうとしていた友人が飛行機がキャンセルになったために飛べなかったことだけは記憶に新しい。


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by zaichik49 | 2008-09-21 05:30 | モスクワ

モスクワで就職!? その10


そしてとうとう、南アフリカから白人のクリニックマネージャーがやって来た。最悪なことに、一目見た瞬間に生理的に受け付けないタイプであることが判明したのである。

(あっちゃー、これは前途多難だな・・・)

案の定、彼女は受付をちらっと見るなり、こう言い放ったではないか。

「あら、どうして受付に外国人がいるのかしら?」

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しかし、生活がかかっているロシア人は自分を守ることに徹するので、とにかくその威圧的な態度の、正直いけ好かないマネージャーに諂うばかり。
そう言えば、一度何かの場面で彼女につかつか歩み寄り、正面切って「先ほどのご意見には賛成出来ないのですが。」みたいなことを言い放ったことがあるのだが、その瞬間周囲にいたロシア人看護婦らの顔面は引きつり、その場が凍り付いたような気がしたものだ。そして彼女が去った後に口を揃えて彼らはこう言うではないか。「何であんなこと言っちゃったの?」と。ある意味、主張しないとやって行けないドイツ流になっているのである。

マネージャーが変わっただけで、クリニックはこんな風にいとも簡単に権威主義的な空間と化してしまった。ここで語弊を恐れずに敢えて言えば、さすが南アフリカ、しかも白人と言えばアパルトヘイトが法制化されていたような国だからなのか、彼女が目の敵にしたのは、まず受付にいる外国人だった。そしてそれを庇おうと働きかけたアメリカ人のドクターにもしわ寄せが。

こちらとしてみれば、ロシア語能力は不十分だからという理由で受付業務は断ったにもかかわらず日本人患者のためにも是非採用したいというので、ベルリンからわざわざモスクワに引っ越しまでしたという経緯がある。その上、慣れない医学用語と四面楚歌な職場で戦う毎日だったというのに、3ヶ月も経たないうちにクリニックマネージャーが別の人間になったということだけで、クリニック自体の方針が180度変わるという事態に直面してしまったというわけだ。タイミングが悪いとはまさにこういうことを言うのだ。

さすがにこの状況を踏まえると、彼女のやり方に笑顔で対処できるわけがない。

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結果、若さ故(?)の宣戦布告ということになる。

「ロシア語の不十分さは了解の上で半年の猶予を貰い、受付業務にも配置されたのです。それを後で来た貴方に文句を言われても納得できません。それに貴方だってロシア語が全く話せないじゃありませんか。受付に外国人など絶対に必要ないとお考えであれば仕方ありません、そこまでして残りたいとも思いません。ただし、ある日本人患者さんのために残りの数ヶ月は通わせて貰うのが条件ですが。それだけは何と言われおうと譲れません。クリニックのマネージャーならば、患者さんのことを第一に考えて頂けますか。」と。

アメリカ人のドクターふたりにマネージャーは私のことが気に入らないらしい、と伝えると、「何てことだ!首にする何てあり得ない事だよ!!エリアマネージャーに直談判してみるよ。」と熱くなる年配ドクター。そして、「そんなことになっちゃったの?ベルリンに帰る事にしたの??モスクワに何とか残れないのかな?」と珍しく顔色を変えて心配そうなNASAマン。

それだけで、もう十分だった。
もうやれるだけのことはやったのだ。
何とでもなれ、だ。

クリニックを訪れる日本人の中には大使館職員の方もいて、「もしまだモスクワで働きたいということであれば、一度いらして下さい」と言って頂いた。丁度、ひとつ席が空くというのである。そして、面接の際にその方は仕事内容の説明をとてもストレートな言葉で伝えてくれたのだ。「でも、ロシア語は全く必要ないですし、業務内容も事務用品の注文など備品の補充などですから、どちらかと言えば退屈かもしれません。私は、ベルリンに戻られた方が色んな意味でも本当に良いのではないかと思いますよ。」

その一言がきっかけで何かが自分の中ではっきりした。

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「帰ろう、もうベルリンに帰ろう。」

心の底からそう思った。思えば境界線上でぐらぐらしている時期が長過ぎたのだ。ロシアとドイツの。モスクワとベルリンの。

そして何とそのタイミングで、モスクヴィッチは「二人で生活がしたいんだ、ずっと。」と言ったのだ。それを聞いた瞬間に「いやだ、もう十分だ。ベルリンに帰る。」とモスクワの路上で叫んでいた自分が信じられなかった。

何かがそこで壊れてしまったのだ。多分。ずーっと努力して来たのだ。ロシアを理解しようと。ロシア人を理解しようと。ロシア語を理解しようと。でも、最後の最後でもうその力が残っていなかった。空っぽだったのだ。ある意味、どこかで自分を守ろうとしたんだとも思う。野性の感のようなもの。ここに残っちゃだめだ。帰らなくちゃ。

ベルリンに帰る。

そうして、このたかだか半年程度のモスクワでの就職がきっかけで、モスクワの全てにあっと言う間にピリオドが打たれたのだ。短かったけれど、まるで永遠のように思える時間だった。

いつもどこかで、きっかけを待っていたんだろうとも思う。

<まだ続きます>

*写真提供: 325


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by zaichik49 | 2008-09-16 05:35 | モスクワ

モスクワで就職!? その9


外国で外国人によるカウンセリングを受ける難しさについて。

通訳をしていて何が難しいかと言えば、カウンセリングを受ける側のバックグラウンド(日本の文化や家庭環境など)をカウンセラーが把握出来る様に説明をする必要が出てくる場合だ。勿論、基本的な感情は万国共通なのだが、文化的背景というところまで話が及ぶと単に訳しているだけでは間に合わなくなるのである。
後は、それぞれの言語の持つニュアンスの違いだろうか。

今ドイツに住んでいて思うのは、カウンセラーや精神科医という全くの第三者に抵抗なく自分の問題を話す、という精神分析の基本が一般的に広く浸透しているということだ。日本では恐らくまだ「最近、カウンセリングを受けているんだけれど」とそれほどオープンには話されていないんじゃないかと思う。
逆にドイツではこのテーマはかなり頻繁に日常会話に出てくる話題のひとつと言っていいくらいだ。「一度、行ってみて話をしたらどう?」と勧められたこともこれまでに何度かある。自分を分析してもらい、自己を知る行為をドイツ人はとても大切にしているようである。理性的なドイツ人には自己分析の方法として精神分析がぴったりなのかもしれない。逆に言うと、ロシア人の場合は友人を巻き込んで自分の悩みを延々と述べる感情的なタイプの人間が多いので、余り西欧的な精神分析やカウンセリングが浸透しているようには余り思えないのだが、いかがだろう?

それはそうと、モスクワのクリニックでアメリカ人のカウンセラーとカウンセリングを受けていた日本人の間に入っての通訳、というのは自分に取って毎回とても十分とは言い難い結果に終わっていた。ただ、その時にカウンセリングを受けていた人の助けに少しでもなっていたのであれば、それがせめてもの救いである。

不思議なことに、ロシアのクリニックで働くようになってから、周りにアメリカ人の同僚(知人)が増えたというのもある意味、皮肉な話ではある。ベルリンにはアメリカ人の知人など全くいないのだから。前にも述べたように、モスクワの方がベルリンよりも都会じみているし、ある意味国際的でビジネスも盛んなのである。

もうひとりのアメリカ人の同僚であったNASAマンは、NASAのメンバーのみが住んでいるセキュリティのしっかりとした専用ホテルに住んでいた。そこで、何度か食事に招待される機会があったのだが、そこで同僚の宇宙飛行士だという人に写真を何枚か見せてもらったことがある。なぜか、宇宙の話というよりも他愛もない話をしていたような気がするが、もっと不思議なことに見せてもらった写真の中でも特に、ぬいぐるみのような物体が宇宙船の中にたくさんぷかぷか浮いていたのを「何だこれは?」と思ったことが一番印象に残っている。

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モスクワではそんな風にして、ベルリンではなかなか出会えないような人たちに実は出会っていたような気もするのだ。

ただ、一番強く感じた事は、NASAのメンバーのモスクワとモスクヴィッチのモスクワは交差することなど絶対にないし、別の国かと思うほどその生活が異なるということだった。どちらが良いとか悪いとかではなく、ただただ信じられないほど違うのである。その二つのモスクワを眺めていると、自分がどちらにも行けず境界線の上でゆらゆらバランスを取っているような妙な気分にさせられた。

「一体、どこに行けばいいんだ?」

そんな自分をもどかしく思っていたが、とうとうクリニックのマネージャーが代わることになった。それも南アフリカから来た白人である。

彼女は予想通り、初の外国人の受付スタッフである日本人に攻撃を開始することになる。

<その10へ続く>


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by zaichik49 | 2008-09-15 22:26 | モスクワ

モスクワで就職!? その8


前回はクリニックマネージャーがクリニック初の日本人の採用を決めたアメリカ人から、南アフリカから来た新しいマネージャーに代わる、というところで締めくくったが、ここで少し話題を変えることにしようと思う。


トベルスカヤの新しい住居にモスクヴィッチが毎日のように押し掛けてくることも少なくなり、クリニックでの電話対応や業務にも少し慣れてきた頃の生活振りについて。

クリニックにいたアメリカ人ドクターのひとりは例の初日に声をかけてくれたNASAマン。もうひとりはそれよりも年配のドクターだった。年配のドクターはロシア語に興味があり、ロシア文学や演劇に通じた人だった。彼に色々教えてもらいながら勤務後に劇場に出かける事が多くなった。

さすがにロシア語で展開される劇の内容を詳細に至るまで把握するのは無理だが、正直これは、今のドイツ語レベルでドイツの現代劇を簡単に理解出来るかと言えば、そうでもないのでロシア語で意味が取れないのはある意味、致し方ない。

言葉の問題はさておき、まずモスクワの演劇界のレベルの高さには舌を巻いた。とにかく役者に味があるのである。言葉が分からなくても十分見応えがあり、演出も捻りの利いた辛口なものが多い。ドイツのシアターは奇抜さばかりが全面に押し出され、ヘンテコリンなものが増えているためか、がっかりして帰ることが多いのだがモスクワのそれは違った。

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タガンカ劇場(タガンカ・モスクワ・ドラマ・コメディ劇場)
やアパートから徒歩ですぐのところにあった
マヤコフスキー劇場には頻繁に足を運んだ。

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マヤコフスキー劇場のあるボリショイ・ニキーツカヤ通りにはモスクワ国立音楽院大ホールがあり、そこでクラシックコンサートを聴く機会も増えた。それまでは、ベルリンに住んでいながらベルリンフィルに足を運んだことさえなかったのだが、その大ホールで聴いたラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が余りにも衝撃的だったことから、クラシック音楽に対する姿勢が180度変わってしまった。コンサートホールでオーケストラを聴いて、自然に涙が出たという経験をしたのはモスクワでのそれが初めてのことだった。ロシアの音楽はロシア人の演奏で聴かないとだめなんだな、なんていうことをその時どこかで思っていたような気がする。

あのくらい衝撃的だったコンサートは恐らく、何年か後に仕事で白夜祭のペテルブルクへ撮影に行った時に聴いたゲルギーエフの指揮によるプロコフィエフだろうか。その時は彼の綴りだす音よりも、インタビューの際に会った本人から溢れ出すオーラとエネルギーにたじたじになった記憶の方が強烈なのだが。

何はともあれ、ロシア芸術の持つ「うねり」には強く惹かれる。
モスクワ滞在中にこうした芸術に出会えたことは思えば貴重な体験だった。

さて、そろそろ仕事の話に戻ろう。

相変わらず、「心房細動、不整脈、メバロチン、脳血栓、メチゾール、インドロール、偏頭痛、鼻水、悪寒」などの言葉に囲まれる毎日だったが、自分の中で特に印象に残っていることがある。それは、カウンセリングに通訳として立ち会ったことだ。初めはそんなプライベートな空間に通訳としてとはいえ、同席していいものかと驚いたのだが本人了承の上ということなので引き受けることにした。

ロシア人同僚とのギスギスしがちな受付業務と比べると、そこはクリニック内のオアシスのようだった。アメリカ人のカウンセラーも含め3人だけの安全な空間、とでも言おうか。カウンセラーのアメリカ人はカウンセリングの途中で邪魔が入るのを当然の如くとても嫌ったので、1時間ほどの時間はある意味、完全に私たちだけの時間だった。不思議なもので、カウンセリングに立ち会うことでかなり助かる部分も多かった。

ただ、そこで外国で外国人のカウンセリングを受ける難しさというものも経験した。
通訳の難しさも含めて。

*写真はそれぞれの劇場HPから。

<その9に続く>


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by zaichik49 | 2008-09-13 22:09 | モスクワ

モスクワで就職!? その7


こんなにも1日が長いなんて・・・
しかも明日は8時出勤。
出勤時間は同僚たちと相談して割り振るのだが、10時半から19時までの時もあれば、9時から16時半だったり、14時半から21時までという日もあった。
ただし、時間計算なので残業代もしっかり出る仕組みではある。

ロシアには銀行口座を持ちたくないので、基本的にドイツの銀行に振り込んでもらい、後はルーブル立てで手渡ししてもらうようにすることにした。
そんなわけで1ヶ月に1度は3から4連休にして、ベルリンに戻っていた。
モスクワで仕事をして生活する、ということは自分が想像していた以上に大変で、たまにベルリンに帰らないと息が詰まるというか、色んな意味でバランスが取れなかったのだ。

案の定、水が合わなかったのかストレスのせいなのか、身体も付いて行かず初めの1週間で何と5キロも痩せてしまった。滅多な事では体重には響かないタイプなので、これはマズいんじゃないかと。ただ、何が安心かというとそんな時でもすぐに診てもらって薬を出してもらえることだ。
これがないとモスクワで働く気にはなれなかったかもしれない。ただ、受付にいる人間が病気では意味がないので、風邪もオチオチ引いていられないのは事実である。
しかし普通の人間であれば、慣れないモスクワの冬の寒さに耐えられるはずもなく、西側のドクターもよく病欠届けを出して休んでいるようで、ある意味ホッとさせられた。寒さが尋常ではないのだ。

毎日、朝から晩まで緊張の連続、そして自宅では医学用語という不慣れな言葉との格闘を続けていたが、唯一自分の役割というか受付にいる意味は、日本人の患者さんたちがクリニックに来る時だったのではないかと思う。

「こんにちは!」

と日本語で挨拶すると、大抵の日本人は一瞬「あれ?」という顔をし、次の瞬間にはぱーっと笑みを浮かべてこちらに挨拶を返してくれた。「日本人の方ですか?」と嬉しそうに色々話をしてくれる患者さんもいた。モスクワの支社に赴任している人、特派員、大使館員、留学生などが主な患者さんだったが、やはり身体の弱っている時は精神的にも弱くなるし、モスクワで生活している日本人にとっては、病院に来た時に無愛想なロシア人の受付よりも、日本語の出来る日本人がいる方が誰だって嬉しいし安心するのである。特に冬は寒さから来る風邪と道が滑るのとで骨折の患者さんが多かった。

アメリカ人のドクター(内科医及び内分泌内科医)が二人いたのだが、彼らが口を揃えて言ったことが、これ。「ロシア人の女性は受付でにこっともしない。あれはどうにも理解できないよ。それに比べて君の笑顔は最高だね!」

確かにロシア人というのは、お店の店員ひとりとっても「あんた私に何か用?」くらいの勢いで無愛想である。ミネラルウォーターを買うだけでもケンカ腰になる。「何か用かとは何だ!水が欲しいって言ってるんだから早くよこせ!」的な展開にあの対応だと成らざるを得ない。下手に出るといつまでたっても水をゲット出来ないのである。それを外国人の多いクリニックでやるのは法外だし(勿論、店員ほどひどくはないにせよ)患者さんの気持ちになれば笑顔で対応するのは基本である。これくらいのことは日本人であれば言われなくても自然に分かる。日本はサービスの国だが、日本とロシアでは天と地ほどの差がある。

逆に、ロシア人の彼女らの立場になってみると仕事も生活もキツい、給料も少ない(現地スタッフはそんなにもらっていないことが判明)、訳のわからない日本人が来て腹立たしい(?)、と色々大変なのであろう。出来れば外国人のドクターと結婚してモスクワからとっととヨーロッパ(西欧)に移住したいというのが大方の本音のようだ。彼女たちも彼女らなりに大変なのだ。向こうにしてみれば、日本人がドイツのベルリンからわざわざモスクワまでやって来て仕事がしたいなんて気違い沙汰なのである。まあ、確かにそれはそうかもしれない。経験を積むためにわざわざモスクワまで来るなんて、ある意味馬鹿げているのかもしれない。選択出来る自由というのはそういうことだ。そして、彼女らにはある意味、「馬鹿馬鹿しいことを敢えてする」という自由がない。

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不規則な出勤時間と不慣れな仕事。そしてモスクヴィッチの自宅訪問の応酬。これらを全部こなすのは到底無理難題である。彼らは電話もよこさず、何時でも家のベルを鳴らす。これにはホトホト参ってしまった。参っているだけではなく、本気で頭に来る様になり、「頼むから電話くらい来る前にしてくれないか。」と言うことにした。その内、訪問客の足は途絶えたのだが、ベルリナーに比べ、モスクヴィッチには他人の生活を尊重するという姿勢が皆無である。自分が気の向いた時に友人を訪れる、というのは普通のことなのである。カルチャーと言ってもいいかもしれない。定職に就いている人間が周りに少なかったのも原因かもしれないが、実際に仕事を持って生活する、ということになると遊びに来ている時とは違い、そうそう彼らのペースに合わせてもいられなくなる。そのことをまず理解してもらうのが大変だった。そんな訳でてっきり二人暮らしをするんだ、と思い込んでいたカプチョーニにも「ひとりにしてくれ。」と言い渡す事になる。

今から思えば、何から何まで新しい事だらけで、マイペースを保つのが相当大変だったんだろうと思う。何と言っても、海外初就職だったわけで、しかも初の日本人採用で後は全て外国人という環境だった。

ところが、アメリカ人のクリニックマネージャーが移動になり、南アフリカから新しいクリニックマネージャーが来る事になったのである。

<その8へ続く>


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by zaichik49 | 2008-09-07 21:09 | モスクワ

モスクワで就職!? その6


そして、とうとう初日を迎えてしまった。
外は余りにも寒いので、出来るだけ着込んで出発。クリニックまでの道のりだが、トベルスカヤ通りを少し北上するとПУШКИНСКАЯ/プシュキンスカヤというメトロの駅がある。まずそこから紫色のラインで二駅目のКИТАЙ-ГОРОД/キタイ・ゴーラッドでオレンジ色のラインに乗り換え、そこから三駅目のПРОСПЕКТ МИРА/プロスペクト・ミラで下車。(こちらをご参照のこと)地下鉄に乗っている時間はせいぜい15分くらいか。ただ、モスクワのメトロは途方もなく長くスピードの速いエレベーターで地下深くまでだだーっと降り、そこからさらに乗り換え駅に辿り着くために、地下道のようなところを延々と歩かなければならないので、そちらに時間を取られがちである。また、混雑具合は日本に近いものがあり、ベルリンから来たばかりだとまず、その人の多さに疲れてしまう。地下鉄の本数も多く、2分間隔くらいで電車が次々とホームに滑り込んでくる。電車が到着するまでの時間も秒刻みで電光表示板でちゃんと出ている。

ベルリンに比べるとモスクワの方が遥かに都会じみているのだ。

このモスクワのメトロだが、地下の駅構内はこれまた惚れ惚れするくらい立派で、駅によってはまるで美術館並みの美しさだ。ただ、通勤となるとそれを楽しむ余裕すらなく、時間に遅れないようただただ目的地に向かうのみである。

さて、無事にПРОСПЕКТ МИРА/プロスペクト・ミラに到着。ここからは少し歩かなければならないのだが、これがまた一苦労なのだ。冬のモスクワは道路が凍結するが、トベルスカヤ並みの目抜き通りでないと、凍結防止剤などを散布してくれない。ベルリンであれば、すぐにそういった処置が広範囲で効率良く行われるが、モスクワではそうはいかない。雪が積もれば積もりっぱなし、道路が凍れば凍りっぱなしというわけだ。仕事開始の時間には十分間に合うように家を出たつもりが、余りにも路上がツルツル滑るため焦れば焦るほど思う様に足が進まない。よくよく見ていると、派手に転んでいる地元民もいるようだから、危ないことこの上なしである。

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この最後の徒歩の部分でくたくたになって、ようやくクリニックの入り口まで辿り着く。まずは、入り口でコントロールがあり、ここで働いているというクリニックが発行する証明書がないと通してもらえない仕組みだ。病院を訪れる患者もビジターリストに氏名が記載されていない場合は、受付と確認を取り、許可が下りて初めて建物の中に入れるという仕組みになっている。こんなところからも治安の悪さが伺える。

今日は初日なので、証明書なしで受付に連絡し、ようやくクリニックに足を踏み入れることができた。病院にしてはずいぶん薄暗い正面入り口を入り、エレベーターで上へ。深呼吸をし、覚悟を決めてクリニックの中に足を踏み入れる。

「ズドラストヴィーチェ。ハロー。」

このクリニック、受付にいるのはロシア人女性ばかりだが、ドクターはロシア人は勿論のこと、フランス人、アメリカ人、インド人、カナダ人、イギリス人と国籍は様々なようだ。ドイツ人がいないのが残念だ。面接に立ち会ったアメリカ人のクリニックマネージャーに挨拶をし、受付のロシア人たちにも紹介され、防寒用の服を着替えてから受付に入る。

が、しかし。一日目はあくまでもオリエンテーションだろうと思いきや、特に詳しく教えてくれる様子がないのである。どうやら受付チームからは、余り歓迎されてはいないらしい。まあ、そこは開き直って自分から色々聞くしか手立てはなさそうである。それでも、ひとり日本語の上手なロシア人女性がいるので、彼女から情報を引き出すのが良さそうだと思ったのだが、「あなたはロシア語がどのくらい出来ますか?ああ、そうなんですか。それは大変になるでしょうね。」とまあ、最初からこんな具合である。

そしてさらに驚いたのは、彼女たちが平気でふいっと、どこかへ行ってしまうことだった。要するに受け付けに一人で放置され、電話が鳴り出すという恐ろしい状態に何度かなってしまったのだ。受付にいる以上、鳴っている電話を放置するわけにはいかないので止む無く電話に出ると、これまた受話器の向こう側ではロシア語のオンパレードがものすごい勢いで展開されており、こちらは初日なので全くのお手上げ状態。分からないものに対してどう処置するべきか。「XXクリニックの某です。少々お待ち下さい。今、お繋ぎ致します。」あるいは、「予約でしょうか?いつがよろしですか?」云々。初日なので、この程度のことしかまだ言えないし、油断していると「XX please.」といきなり流暢な英語使いが電話の向こうに登場したりもする。何度も言うが、初日なのでクリニックやアラームセンター内の誰がどこにいるのかなど、ほとんど把握出来ていないので、電話をエクステンションで繋ぐだけでも冷や汗もの。貰ったリストには30ほどのエクステンション番号が羅列されているが、そこから該当する人物を探すだけでも大変なのだ。初日なんですよ!!

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とまあ、予想以上に非協力的なロシア人同僚たちには呆れ返ったが、呆れ返る暇も無く何とかお昼の休憩時間まで漕ぎ着け、休憩室でホーッと一息(ため息)ついていたところ・・・
アメリカ人らしきドクターがふらっと入ってきてこう言うではないか。

「(ハーイ!ハウユードゥーイン?みたいなことがあり、、、)あのさ、さっきから思ってたんだけど、君が新しく入った日本人かい?何でまたここで働くことになったの?」

全うな質問であるが、いささか不躾でもある。

「(サンクス、ソーソーみたいな返事をしつつ、)そうです。実はベルリンに住んでいたんですが、偶然、モスクワ滞在中に面接に来る機会があって。働かないかと言われたので、じゃあそうしようかと。」

「えっ!ベルリンに住んでたんだ?何やってたの?学生??それにしても変わってるなぁ。あ、失礼。僕はモスクワの郊外にあるNASAで勤務してる某だけど、ここには週に2、3回のペースで入ってるんだ。」

「あ、そうなんですか。よろしくお願いします。」

初日だし、慣れないロシア語での電話対応で既に神経をすり減らしていたので、そのドクターの言う事など頭にほとんど入ってこなかったのだ。第一印象が重要なのに、愛想などとはかけ離れた感じである。とにかく、彼は多少なりとも興味を持ってくれたようだった。受付が戦場と化しそうなので、味方になってくれそうな人がいるに越した事はないのだ。

それにしても、どうなることやら。かなり先が思いやられる幕開けである。


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by zaichik49 | 2008-08-26 05:52 | モスクワ

モスクワで就職!? その5


2001年1月22日。
真冬のモスクワに到着した。

翌日、早速人事部のスベトラーナに挨拶に行き、当初の間住むことになるアパートの鍵を受け取る。住所はБол. гнездниковский пер. 10。赤の広場へ続く大通り、トベルスカヤ通りから少し入ったところにある立地抜群の物件だ。ただ、アパートの状態は古く、内装もかなり風変わりだった。どうやら以前はこのアパートの一室がホーム劇場だったらしく、マットレスは床から一段高くなった舞台のようなところにあるし、その寝床になったスペースには幕のカーテンまで備え付けられている。長い間、調音されていないピアノまであった。このような舞台のある部屋がリビング兼寝室なのである。舞台の裏には細いスペースがあり、そこは書斎のようになっている。本棚には古い本が所狭しと並んでいる。その細い書斎の隣にこれまた細いキッチンスペースがあるが、窓はない。その手前、入り口を入ってすぐ左にバスルームがある。ただ、蛇口をひねると褐色の水がどぼどぼ流れ出した。バスタブにお湯を入れても黄色っぽくなる。水道管が古くて錆が出るのだろう。生水など飲めたものではない。全体的に天井は高く、ベルリンのアルトバウ(戦前に建てられた旧式)のアパートと似たような作りである。勿論、手作りの舞台を除いてだが。

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窓からはスターリン様式の立派な建物が遠目に見える。このスターリン様式の建物を見ると、「いよいよモスクワでの生活が始まるんだな・・・」と実感せざるを得ない。
モスクワはベルリンと比べ、街の規模がさらに大きく威厳もあるので気持ちがぴりっと引き締まる。それに実際、余りリラックスできる街でもないのだ。

部屋を一通り見て、これでやっと一息付けると思いきや、カプチョーニの知らせを聞きつけた友人が束になって詰めかけて来た。そう、ここはベルリンではなくてモスクワなのだ。モスクヴィッチは他人を気遣ってそっとしておくというよりも、まずは「良く来たね!」と歓迎して一緒に祝わないと気が済まないのだ。結局、日付が変わっても彼らはなかなか帰ろうとしなかった。トホホ。

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そしてようやく友人たちも帰り、少し眠った後、このアパートの周りに何があるのか探索することにした。1月下旬のモスクワは零下25度くらいまで気温が下がる。こんなに寒いと地面は凍結し、ツルツル滑る事この上ない。凍結した道路に慣れているモスクヴィッチたちは普通にさっさと歩いているが、いざ歩こうと思うとツルツル滑るため恐る恐る足を運んでいるといつもの倍以上は時間がかかってしまう。水道水が飲めないので5L入りの大きなペットボトルのミネラルウォーターをふたつ持って歩こうとすると、さらにバランスが取りにくくなり、何度も転びそうになりながら這々の体でなんとか家まで辿り着く。

トベルスカヤ通りの店は目抜き通りだけあって、かなり割高で手軽なスーパーや市場も近くにはないようだった。それでも、家の側に水やパン、乳製品など簡単な食料品が購入できるところは見つけたので問題はなさそうだ。豆腐やみそなどの食材はモスクワでは入手するのが困難だし、ベルリンの倍以上の値段がするのは分かっていたため、醤油やみそはベルリンから少し持って来ておいた。

とにかく生活のリズムを掴みつつ、2月の仕事始めまでに出来るだけ必要になりそうな医療用語をまとめることにしたが、やればやるほどとんでもないことを引き受けたな、という気持ちに拍車がかかる。やれやれ、何でまたこんな寒いモスクワくんだりまで来てしまったんだろう?

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やはり、旅と日常生活というものは全く別ものなのである。


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by zaichik49 | 2008-08-24 07:19 | モスクワ

モスクワで就職!? その4


話は少し前後するが、クリニックマネージャーと人事担当者との面接の後にモスクワの友人たちに結果を報告すると、まさか本当に働くことになるとは思っていなかったようで、かなり驚いていた。

まあ、一番驚いていたのは本人なのだが・・・

こんな習いかけのロシア語力で、しかも医療用語が飛び交う環境での通訳。それだけならまだしも、向こうは受付も兼ねろというのだから無茶な話である。ドイツに住んでドイツ語をやってきたことはここではほとんど意味をなさないことになる。モスクワで必要なのは当然ロシア語であり、外国人の患者がほとんどのクリニックで必要不可欠なのは何と言っても英語だ。

「ロシア語で(英語ですらないが、)病気について話した事なんてないな・・・」

と言うと、カプチョーニは何を思ったか雑記帳にがいこつの絵を書き出した。
そして黙々と数頁に渡ってロシア語で書き込んでいる。
最初の頁はこんな感じだ。

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動脈、静脈、組織、血液、歯茎、血圧、偏頭痛、肝臓、腎臓、脾臓、心臓、リンパ腺、呼吸、鼻づまり、鈍い痛み、鋭い痛み、痙攣、潰瘍、腫瘍、便秘、下痢etc.

数頁にわたる単語を挙げると切りがないが、こういった単語を元に、辞書を引きながら根気よく語彙を増やしていくことにした。今読み返してもよくこれだけの語彙を何も見ずにまとめて書いてくれたな、と感心する。(そう言えば、現在の自分のドイツ語の語彙としても定着していないものが多々ある。)この後、日本でも英語の辞書と「家庭の医学」などを購入し仕事に備えることになるのだが、さてどうなることやら。

余談だが、ロシアにいつも持参して気が向いたら何やら書き込んでいたノートが4冊ほどあるが、がいこつが書かれた雑記帳の表紙と裏表紙はこんな風になっている。

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ロシア風のピノキオがコンデンスミルクを煮て作られたお菓子を食べている絵で、ロシアで良く買って食べていたものだ。これもそのお菓子のパッケージが気に入ったので切り取って貼っておいた。この色合いと素朴さが何ともたまらない。裏表紙の文字は「イリス スリヴァチニィ」=バタータフィーとあるが、コンデンスミルクキャラメルとした方が妥当である。

次はようやく本題のクリニックでの仕事について書こうかと思う。


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by zaichik49 | 2008-08-18 00:29 | モスクワ

モスクワで就職!? その3


ベルリンに後ろ髪を引かれながら、テーゲル空港からシェレメーチエヴォ国際空港(Международный аэропорт Шереметьево)へ到着。それにしても、この空港に着く度にいつもちょっと気が滅入ってしまう。入国審査に至までの長蛇の列と訪れる者を歓迎する気配が微塵も感じられない空港の佇まいそのものに士気を奪われてしまうからだ。

ちょっと気になったのでウィキペディアを見てみると、何と補足事項にこうあった。

天井が非常に低いことで有名。また、照明がかなり薄暗い。
空港職員の態度があまりにもお粗末なことで知られ、世界でも最低ランクの空港といわれている。

お粗末、最低ランクと結構、言いたい放題である。著者はかなりここで頭に来たことがあるのだろう。
しかし、これを読んであの圧迫感は天井の低さから来ていたのか!と妙に納得。しかもその天井は銅のようなもので出来た筒で埋め尽くされているのである。写真がないのが残念だが、あの空港でカメラを出してパシャパシャやったりすると、これまた面倒に巻き込まれるのは目に見えている。そう、後ろから警官(ミリチア)が近づいて来る事ほぼ間違いなし!

数年前からドモジェドボ国際空港(Международный аэропорт Домодедово )にベルリンからのフライトが乗り入れるようになり、そちらの空港も例によってひどいに違いないと思いきや、さすがに少しは学んだようで、かなり明るい開放感のある作りになっていたのでホッとした記憶がある。シェレメーチエヴォの写真がないので、比較が出来ないのが残念だが、ウィキペディアで見つけたドモジェドボ写真を参考までに載せておこう。

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これだけ見ると欧米の空港とほとんど変わらない。

ウィキペディアの記述が思いのほか面白いのでこちらも見てみると、概要にこうある。

シェレメーチエヴォ国際空港の施設が古く、乗客から不評を得ていることから、外国籍の航空会社が多数乗り入れている。

まさに。

空港について少し触れるだけでも、ここまで話が膨らんでしまうのがモスクワ、なのである。「わざわざ行かなくても」と多くの友人に言われるだけのことはある。

さらに、ドモジェドボ国際空港に乗り入れているJALのHPを見ていて驚くべきことを発見した。
2006年11月1日より、出入国カードがロシア語・英語併記の仕様に変更されました。とのこと。

あの入国審査書類、これを目にするまで特に意識していなかったが、ずーっとロシア語と英語が併記されていなかったということか。紛いにも「国際空港」の入国審査書類だというのに・・・

とまあ、空港に到着してからモスクワ市内に辿り着くまでがこれまた大変な(だった?)モスクワだが、ひどい時は1時間以上待ってやっと入国審査を行う職員の前に辿り着くことになる。そして、彼らは真っ向からロシア語でふてくされた表情(というか無表情)で質問してくる。

ここからが笑えるのだが、私の名字、ロシア語読みで「中国」となってしまう。そこで彼らはまず軽く混乱する。

「どこから来たんだ?え、ベルリンに住んでいてベルリンから?そして出身は日本?日本人なのにどうして名前が中国なんだ?」

「いえ、日本語では『中国』という意味ではないんですが・・・まあ、日本語では『珍しい』という意味なんですけどね(と余計な解説までするのでさらに混乱を招く)。とにかく、中国じゃありませんから。」

「ベルリンに住んでいるのに、どうしてこんなにモスクワに来ているんだ?え、旅行?ベルリンでは何してるんだ?学生?今回はモスクワで仕事??ビザはあるのか、ふむふむ・・・」

なんだかんだで時間がかかったが、まあ書類に不備はなかったので、無事に通過出来た。出たところでカプチョーニが心配そうに待ち構えていた。

ゲートを通過するといつものようにタクシーの客引きがわらわらと寄って来るが、とにかく一目散に乗り合いバスへ。タクシーなんて空港から乗るとドルでべらぼうな料金を請求されること間違いなし。その点、乗り合いタクシーだと市内のメトロの駅まで連れてってくれるし、地元民が使うのでぼったくりはない。ただ、慣れていないとちょっと乗り辛いかもしれない。この世界でも最低ランクだと言われている空港からはシャトルバスやら列車なんて接続していないのである。昔は運行していたバスの路線もなぜか打ち切られ、着いた時には乗り合いタクシーとタクシーのみというお粗末さだった。

そして、一歩空港の外に出ると

カチーン

と、体中の血液が凍るような音がした。
えっ、こんなに寒かったっけ???
そう、モスクワの冬は何の疑いもなくただただ寒かったのだ。

まだまだ続きます。


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by zaichik49 | 2008-08-12 05:34 | モスクワ


ベルリン在住、ベルリナーによるモスクワ体験記も一段落。今後も気になるロシアや現在のベルリン生活の中で想うことをつらつら書いていこうと思います。


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2009年9月29日に長女を出産しました。タグの「妊娠」にて妊娠覚え書きをまとめてみましたので、また覗いて見てください。

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