カテゴリ:ベルリン( 15 )

キンダーカフェ


ベルリンで子沢山地区と言えばプレンツラウワーベルク。
何でもここ数年、ヨーロッパで出産率が一番だという噂があるほど。

そう言われれば、過去10年間で随分この辺りのイメージも変わって来た。
Lychner, Schliemann, Dunker通りという並行して並ぶ3つのストリートは90年代まではLSDと省略されて呼ばれていたことからも分かる様に、子供とは程遠いイメージを持つ通りだった。当時は占拠アパートが数多くあるアナーキーな場所だったのである。
それが、今ではDas Spielzimmer(クリックするとリンクへ)というキンダーカフェがSchliemann通りの真ん中にあったりするから、時代の流れにはほんと逆らえない。

もう一つ気になっているのがMilchbart。こちらもプレンツラウワーベルクにある。

キンダーカフェとは少し趣向が異なるが、Honigpumpeという施設では毎月、最終週の金曜日にファミリー朝食会のようなものが設けられていて、ご近所さん同士が集えるようなミーティングポイントがある。こういう場所でドイツ人家族とも知り合えるかもしれない。

まずは、おっぱい星人を連れてキンダーカフェに行ってみたいと思っているところ。

それはともかく、反骨精神をまとって尖っていたベルリンも随分、骨抜きになったなぁ、なんて。まさに自分を見ているようで・笑 いやはや、時代の流れにも年齢の積み重なりにも逆らえない、でもそれも悪くないのだ。

などと思う日曜の午後。

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by zaichik49 | 2010-02-07 22:31 | ベルリン

切れちゃった・・・


昨日は壁崩壊20周年式典がベルリンやその他欧州諸国で行われた。
ロンドンでは氷の壁が、マドリッドではベルリンの壁を模倣したオブジェが、ベルリンでは世界各国の子供たちによる壁ドミノが、といった風に。

ベルリンは生憎の天気だったが、どちらにせよ6週間にも満たない赤ちゃんを人混みの中に連れ出すわけにもいかず、自宅待機。

式典の様子をテレビで追っていた。

沐浴をしていると、ドミノ倒しが始まったので、慌ててテレビの前へ。

居間の照明がちかちかした次の瞬間、なぜかテレビがぶちっ、と切れてしまった。

「・・・」

沈黙する私たち。

何だか取り残された気分になり、早々ベッドに潜り込むが
案の定そう簡単には眠りにつかせてもらえなかった。

そして歴史が転換しようが不況だ何だと世間が騒がしかろうが、不眠の日々は続くのだった。
赤子恐るべし。

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by zaichik49 | 2009-11-10 18:44 | ベルリン

跡地、その後


昨日は素晴らしい秋晴れの土曜日。
壁崩壊記念式典が9日に迫る中、街は観光客と11月の太陽を求めて外に出る人々で溢れていた。

来週の日曜日には帰ってしまう母が大聖堂を見たいというので3人+1人で散歩に出かける。
前の晩、おちびさんがずーっと寝静まらなかったため少々フラフラしながらの散歩となるが、
晴れる日がほとんどない11月、こんな天気の良い日は外に出ずにはいられない。

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風はかなり冷たかったが、日溜まりの中でおっぱいをあげる。
さ、寒い。

ベルリン大聖堂の正面に出ると、先日テレビ塔の上からも気になっていた共和国宮殿跡を確かめたくなった。

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建物は跡形もなく消え失せ、だだっ広い空き地になっていた。
写真では分かり辛いかもしれないが、テレビ塔の上から見ると建物があった場所に♡のマークが描かれていた。

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芝生を囲む様に壁が残されているが、これが唯一の名残りなのかもしれない。

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またベルリンの風景が変わった。

この跡地、昔はベルリン宮殿が立っていた場所でもあり、2010年の秋から復元作業に入る予定だというが、
掘り起こされた地盤から昔の教会跡が出て来たようだ。

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こちらも街の一等地での大規模なプロジェクトとなるが、資金繰りや景観問題など色々な議論を呼んでいる。街の印象を大きく変えることになるので慎重に進めて欲しいところだ。

寝不足のためカフェで休憩したくなったところで、何やら共和国宮殿を彷彿とさせられる外観の簡易プレハブのような建物が目に入った。

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間に合わせの建て方にしては、なかなか感じの良いカフェである。
早速、空いていたソファに身を沈めながら紅茶とキャロットケーキをいただく。
良く見ると、ギャラリーが併設されているようだ。

展示スペースを通り過ぎて、正面に回ると、そこがテンポラリーギャラリーであることが判明。
ベルリン特有の「一時的」なギャラリーに併設されたカフェだったわけだ。
ここは入場料も無料なのでお薦めしたい。

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残念ながらゆっくり作品を鑑賞する気力はなかったが、天井も高く見応えのする展示スペースだったように思う。外壁の共和国宮殿も「エコー」というタイトルの付いた作品だった。

ベルリンはこんな風にいつも何か新しい発見があるところが魅力なのかもしれない。

今日こそ、少しでもよく眠れますように。

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by zaichik49 | 2009-11-08 21:42 | ベルリン

連邦議会議事堂


母とのベルリン観光。今日はドイツ連邦議会議事堂(Deutscher Bundestag)へ。

ナチス時代の暗い歴史を持つドイツ。ボンからベルリンへの首都移転が決まった際に、「開かれた議会」を象徴するためガラス張りのドームが以前のライヒスターク(帝国議会)の屋根として設計されることになったことは記憶に新しい。ドーム部分の設計はアメリカ人の建築家ノーマン・フォースターによるものである。

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ドームが出来る前の議事堂(1995年)

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現在の議事堂

このドーム部分は観光客が訪れられるようになっており、運良く真下にある議事堂で議会が行われていれば、その様子を見下ろせる設計になっているのがユニークだ。

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ドームからは新しく生まれ変わったベルリンの街が見渡せる。
ブランデンブルク門の方向を見てみると、門の奥に最近出来たアメリカ大使館と、その奥には欧州で犠牲になったユダヤ人のための慰霊碑がある。右手にはソニーセンターの白い屋根のあるポツダム広場が。

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母の記念撮影。ドイツ国旗の下には2006年に完成した中央駅が見える。

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ドーム内にあるスロープを上っていくと、真上にぽっかりと穴のあいた屋上に着く。休憩出来るスペースがあり、そこで寝転がって上を見るとこんな風に空が見える。

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そこからまた反対側のスロープを下り、エレベーターで西玄関ホールに出ると、高さ30mの壁にゲルハルト・リヒターの黒-赤-金色から成る21メートルにも及ぶ大きな作品が展示されている。色は裏側の大きなガラス板まで及んでいて、それは意図的にドイツ国旗を思わせる。しかし、長方形でガラスフロアに映し出すそれは、国旗の模写ではなく独立した色彩芸術作品であることを強調。色の選択、構成を通して芸術家が見る人を困惑させる「知覚の落とし穴」によって作成されている。

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写真にはないが、ジグマー・ポルケのフォーム、内容ともリヒターの作品と対照をなす五つの作品は西側正面玄関の建物内の壁にリヒターの作品と向き合うような形で展示されている。

こんな風に議事堂内部に現代アートのコレクションが多数あるというのも面白い。
興味のある人はガイドツアーがあるので参加してみると良いだろう。

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by zaichik49 | 2009-09-16 02:56 | ベルリン

フィルハーモニー2


9月12日。今回も前回と同様、ベルリン音楽祭のプラグラム内にあるサイモン・ラトル指揮によるベルリンフィルの演奏を聴くためにフィルハーモニーへ足を運んだ。

今回のプログラムはこちら。

Berliner Philharmoniker / Sir Simon Rattle
Alban Berg [1885–1935]
Adagio
aus: Symphonische Stücke aus der Oper »Lulu« [1934]

Paul Dessau [1894–1979]
Les Voix
nach einem Gedicht von Paul Verlaine
für Sopran, obligates Klavier und Orchester [1939/40]

Dmitri Schostakowitsch [1906–1975]
Symphonie Nr. 4 c-Moll op. 43 [1935–36/61]

Berliner Philharmoniker
Angela Denoke Sopran
Lars Vogt Klavier
Sir Simon Rattle Leitung

Eine Veranstaltung der Stiftung Berliner Philharmoniker
in Kooperation mit dem musikfest berlin | Berliner Festspiele

ウィキペディアによると、Alban Bergは「アルノルト・シェーンベルクに師事し、アントン・ヴェーベルンと共に、無調音楽を経て十二音技法による作品を残したオーストリアの作曲家。十二音技法の中に調性を織り込んだ作風で知られる。」とある。個人的には余り馴染みのない作曲家であるが、とにかく現代的な音が面白い作品だった。それは次のPaul Dessau にも言える事で、彼がハンス・アイスラーと並んでDDR(東ドイツ)の代表的な作曲家とされていることも初めて知った。彼もアルノルト・シェーンベルクに多大な影響を受けているようだ。

さて、今回も最大の目的はショスタコーヴィチの交響曲。今回は第4番である。
この交響曲は1935、36年に作曲されたが、この時期にショスタコーヴィチは苦境に立たされている。

32年に完成したオペラ<ムツェンスク郡のマクベス夫人>がモスクワ、レニングラードのみならず外国でも上演され大成功を収めたにもかかわらず、スターリン下で行われた大粛清時代の政策の中で36年1月に厳しい批判を受け、ショスタコーヴィチは既に完成していた<交響曲第4番>を撤回し、しばし筆を休めることになった。

その後、現在では<革命>の名で知られる<交響曲第5番>(1937)を書いて、名誉を回復する。
しかし、交響曲第4番のプレミアが実現するのは、作品が完成した25年後の1961年12月30日、チャイコフスキーホールでのキリル・コンドラシン指揮によるモスクワフィルの演奏によるものだった。
第4番はショスタコーヴィチによる交響曲の中でも個人的でほぼ自伝的な作品である、と言われる所以でもある。

ベルリンフィルによる演奏は期待通り、圧巻であった。

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by zaichik49 | 2009-09-13 19:19 | ベルリン

ベルリン 1995年


またまた懐かしいフォトシリーズ。

95年、ベルリンに来てまだ日も浅い頃、語学学校の後に当時の友人たちに呼ばれ、壁公園(Mauerpark)のバラック小屋に足を運んだ時のこと。
「ARTEの撮影があるから好きな洋服を持っておいでよ!」という誘いだった。
アルテが何なのかも知らず、よく分からないまま撮影現場に顔を出すとHoney-Suckle Companyのメンバーたちが思い思いにスタイリングをしているところだった。ちなみにARTEはフランスの国営テレビである。

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ありゃりゃ、何だこれ?

という気分だったが、自分も見よう見まねで洋服を改造することにした。
テープを貼ったり、チューブを付けたり・・・
カメラマンもそんな中、比較的自由気ままに撮影を続けていたのが印象的だった。

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時間が経つうちにどんどんみんなの素顔が分からなくなり、何だか良い感じになってきた。

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ドール、人形、子供。がらくた。そんなイメージか。

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ベルリンに来たばかりの頃は、朝の早い語学学校の授業に毎日出るのが大変だったことを覚えている。
それよりも、こんな風に色んな人たちに会って訳の分からないことをする方がずーっと魅力的だったのかもしれない。ロシアとの距離がぐっと近づいたのも1年目だった。

ただ、それも熱に浮かされている最初のうちだけで、途中からはビザ取得や生活維持のために現実的にならざるを得なくなるわけだけれど。初めは自分のポジションを見つける事が出来ず大変な思いをしていた気がする。

当時のみんなは今、どこで何をしているのだろう?
この時に知り合って、今でも連絡が付くのはふたりほどしかいない。

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by zaichik49 | 2009-09-12 03:18 | ベルリン

モノクロが似合う街


旧東ベルリンがまだ灰色だった頃、モノクロで撮った写真がいくつかある。

これらの写真も間違いなく2000年以前に撮影したものだと思うが、あの頃は本当に旧東側の建物はグレーのままで、雰囲気も寒々しかったのを覚えている。

東独にしかない構造物に妙に惹かれたのもその頃だった。

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意味もなくただただながーい高台(?)と照明たち。

今でも旧東側でたまに目にすることがある。

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by zaichik49 | 2009-09-11 23:47 | ベルリン

1995年と2009年 〜その1〜


今、母親が12年振りにベルリンに来ています。
当時と比べるとベルリンも随分、様変わりしました。

例えばこんな風に。

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1995年のブランデンブルク門
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2009年のブランデンブルク門

写真は母が初めてベルリンに来た95年のもの。2回目の渡独が97年でした。
母親は一言こう言いました。
「変に垢抜けてベルリンらしくなくなった気がする。建物が建ち過ぎてて昔の方が良かったわー。」

確かに当時はブランデンブルク門の左右にはまだ何にも建設されておらず、門の下を車が走っていました。
ツーリストの数も少なく、何となくひっそりとした雰囲気があります。

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1995年
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2009年

ブランデンブルク門そのものも、お化粧直しされて白くなっているのが分かります。
つい最近にはU55番線の「ブランデンブルク門」駅も開通したばかりです。

当時は性能の良いカメラも持っておらず、写真も熱心に撮っていなかったようなので余り比較出来る写真が残っていないのですが、こうして数枚の写真を比べて見るだけでもどれだけベルリンが変化してきたかということに気付かされます。

こちらはアレクサンダー広場のデパートKaufhof。

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1995年
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2009年

東独時代のデザインが一新されました。今は、どこにでもあるようなシンプルなデパートに。昔のデザインもユニークだったので嫌いではありませんでしたが、周りの建物は灰色でかなり暗い印象を与えていた様に思います。

やはりこの10年で街はかなり近代的になり、その表情も明るくなりました。
今年は壁崩壊20周年を迎えます。
これからもベルリンは変化を遂げる事でしょう。

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by zaichik49 | 2009-09-02 03:09 | ベルリン

「長い嘆き」と呼ばれる陸橋


ここのところ、まとまった時間が出来たのでようやく自宅の机周りやロケ関連の書類、そして写真の整理をしていたのだが、その際に何枚か気になる写真が出て来た。

例えばこちら。

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初めて見た時は「どうしてこんなに長い陸橋がこんなところに?」とかなり不思議に思ったものである。
実はこの陸橋、SバーンのStorkower Strasseという駅のホームとその出入り口を繋いでいたものなのだ。それにしても延々と長く、先が見えない。この駅が仮に最寄りの駅だとしたら、帰りが遅くなった時はどうするんだろう?と考えざるを得ないような寂れ方である。

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写真を撮った当時、橋の左右はだだっ広い空き地になっていたが、ここには昔、屠殺場があったらしい。Storkower Strasseという駅名は1970年半ばまではZentralviehhof(中央家畜収容場)という名前だった。そのZentralvieh- und Schlachthof(中央家畜収容場及び屠殺場)がこの場所に作られたのが1881年のことだ。

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©Maximilian Dörrbecker

なぜこのような長い陸橋が作られたのかというと、歩行者が近くの住宅地(見取り図の下方にあるEldenaer Strasse沿い)に辿り着くために危険でないとは言えない屠殺場を横切る必要があったためだ。陸橋から屠殺場が見えない様に外が見えないガラスが取り付けられた。「都心に住む未成年者に良くない影響を与えかねないため。」というのが1936年当時の架橋省のコメントである。この陸橋、1977年には最長505mにまで延長され、ヨーロッパ最長の陸橋になったのだそうだ。

東独時代にもここは精肉工場として重要な役割を担っていたようだ。
壁崩壊後には私有化されたが、1991年には閉鎖。数年間、工業休閑地として放置されていた。
2000年夏のオリンピック開催の際にはメディア村として蘇らせる計画もあったが、シドニーが開催権利を勝ち取ったため、計画は実現されなかった。計画の一環で1999年に敷地の北側に建設されたのが、現在Landsburger Alleeにある多目的ホールVelodromである。

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あいにく、これらの写真を撮ったのがいつだったか記憶にないのだが、2000年より前なのは間違いないと思う。現在はこの長い陸橋も一部を残しただけで、修復されている。
余り利用しない路線なので自分で撮った写真がないのが残念だが、Wikipediaより以下の2枚の写真を参考のため拝借したいと思う(2006年に撮影されたもの)。

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©Andreas Steinhoff

ところで、この陸橋、東独時代にはその余りに荒れ果てた状態から人々の間で「長い嘆き」、「長い不幸」などと呼ばれていたそうだ。

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by zaichik49 | 2009-08-27 18:46 | ベルリン

まだまだ開発中


一昨日はハンブルクのお姉さんがベルリンに来ているというので、アルト・テーゲルまで足を運んだ。
Chauseestr. (シャウセー通り)を北上する道中に解体間近と見られる廃墟と化した建物に遭遇。

「あれは撮っときたいなぁ。」

と思いつつ、テーゲル方面へ。

テーゲル湖に面したカフェでアイスをたらふく食べ、ハンブルクへ向かうお姉さんと別れたすぐ後、雷雨がやってきた。激しい雨を通り過ぎ、再びChauseestr.に入った頃には雨も上がった。

「ちょっと撮るね。」

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と車を停めてもらい何枚か撮影する。
ベルリンは未だに廃墟と化した建物が散在するが、気付いたら全く違う建物に変わっていた、ということがほとんどである。壁崩壊から20年、何度も目の当たりにしてきた変化だが、フリードリヒ通りの延長にあるにも関わらずまだまだ空き地の広がるシャウセー通りにもようやく開発の波が到達したというところか。

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引っ越しを余儀なくされた年に物件を探した際も、シャウセー通り近辺に空き物件が多かったような気がする。今はまだ周りに何もない状態だが、今なら引っ越しするにはいいタイミングなのかもしれない。がらーんとしているようで実は意外に便利な場所にあるからだ。

これからどう変化していくのか楽しみでもあり、同時に悲しくもある。
壁間際の人工的な辺境地帯がどんどん普通の街並に変わっていくからだ。
時間の波には逆らえないが、歴史の傷跡というかそんなものがコンクリートに飲み込まれていくのも少し切ない気がする。

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by zaichik49 | 2009-06-02 00:51 | ベルリン


ベルリン在住、ベルリナーによるモスクワ体験記も一段落。今後も気になるロシアや現在のベルリン生活の中で想うことをつらつら書いていこうと思います。


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2009年9月29日に長女を出産しました。タグの「妊娠」にて妊娠覚え書きをまとめてみましたので、また覗いて見てください。

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