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ABC group


昨日は去年の暮れに6年振りに再開したマキシムとナターシャを連れてベルリンのヴェディング地区にあるeboyのアトリエ兼事務所へ。

モスクワ出身の彼ら。Art Business Consulting group(Maxim Iliukhin, Natasha Struchkova, Mike Kosolapov) として活動しているアーティストである。ナターシャは数年前からピクセル画を描き始めた。4ミリ四方のピクセルをアクリルで描いていくのだから相当なものである。展覧会に訪れる人たちは「手描き?まさか!プリントなんじゃないか?」と至近距離でマジマジと凝視するのだそうだ。「ナターシャ、eboyを知ってる?」というのもこれまでの常套句。それじゃあ、会ってみたら?ということになり、何度か日本のクライアントとの仕事で顔見知りだったことから、彼らと一緒に会いに行く事になった。

プライベートで足を運ぶのは初めてだったが、いつも通り肩肘張らない雰囲気が心地よい。おまけに今回はおっぱい星人も同行しての再会となった。「ベビ9ヶ月だっけ?」「まだ3ヶ月だよー。」とか。

仕事ではないので気楽ではあったが、逆に実り多き対面になることを願う気持ちが出て来るから不思議。もちろん通訳もなし・笑

今回の訪問で改めてマキシムとナターシャの現在の活動を知る事が出来た。
話の中で出て来た絵画についていくつか。

ナターシャ曰く、eboyのピクセルグラフィックに出会い、ピクセル画に着手したのだとか。
ただ、そこにロシア人が見れば誰でも知っているモチーフを取り入れることにしたのだそうだ。
例えばこちら。

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futurussia#4 (2004)

右下には日本でも近年人気のキャラクター、チェブラーシュカが。そして画面を大きく占めている日本の足と赤いアコーディオンにお気付きの方もいるはず。こちらは同じく「チェブラーシュカ」に登場するワニのゲーナである。ゲーナの足に貼り付いているのはロシアの人気アニメ「Ну, Погоди!(ヌ・パガディ!:今に見てろよ!)」の主人公のオオカミ。

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futurussia#5 (2004)

上の画面中央に立っている銅像はZurab Tsereteliによるロシア軍300周年を記念するピョートル大帝の銅像だそうだ。この銅像、初めはコロンブスだったんだとか。作者はそれをアメリカ政府に売りたかったのだが断られ、その後ピョートルにすり替えたものをロシア政府が購入、ペテルブルク市はしかし設置を拒否し、最後にモスクワの今の場所に落ち着いたのだとか。

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http://www.tsereteli.ru/より

この曰く付きの銅像をまさに飲み込まんとばかり口をぱっくり開けている魚はロシアの昔話に登場する魚なのだそうだ。リプトンの広告塔が大きく屋根に掲げられている建物はモスクワ川沿いにある芸術センターである。芸術センターの文字がリプトンの広告に完全に負けてしまっている。

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#19 legopaint (2009)

こちらの絵のモデルになっているモチーフは下のヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ(Виктор Михайлович Васнецов)の「3人の勇士」である。

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Wikipediaより

そしてこちら。チョコレートのパッケージにもなっているロシア人なら誰でも知ってるシリーズ。

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#20 legopaint (2009)

モデルになっている絵はイヴァン・イヴァノビッチ・シーシキン(Иван Иванович Шишкин)の「松林の朝」である。

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Wikipediaより

シーシキンのこの絵は随分前にトレチャコフ美術館で観て印象深かったのを覚えている。

ナターシャの一連の作品はこちらのリンクでもどうぞ。

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by zaichik49 | 2010-01-07 04:40 | アート

ロシアのおっかさん


昨日、昼過ぎに知人から電話を受けた。

「Privet!」

ン?ロシア語??と2秒くらい考えた後、声の主に思い当たる。

「あ、マキシム? もう着いたの??」

そう。かなり久しぶりにロシア語を聞いて少し戸惑ったのだ。
マキシム一家に会うのは6年振りくらいになるだろうか。
メールで近々ベルリンで年を越すので会えたら良いね、という連絡は貰っていたのだが、
彼らのいいところは形式的な挨拶だけではなく、着いたら本当にすぐに連絡をくれるところかもしれない。

それにしてもマキシムとモスクワで知り合ったのは95年だから、随分長い付き合いになる。
カプチョーニと同じアパートの上階に住んでいたナターシャとマキシムが付き合っていた頃に近所のよしみで知り合ったのだが、今では別のナターシャとの間に2歳の息子を授かっている。この2歳のキムはおっぱい星人を不思議そうに眺めていた。名前を聞いて「ルナ?」と空を見上げたり。「ルナ(луна=luna)」はロシア語でも月という意味で、キムがママ、パパというよりも先に初めて話した言葉がルナなんだそうだ。

既に14歳になったイゴールはナターシャの最初の子供で、彼がまだ8歳くらいの頃に一度みんなでダーチェに行ってわいわい遊んだこともまだ記憶に新しい。子供の成長は驚く程早い。(リンク先の上から5番目の写真が当時のイゴール)

とにかく、分かり易い場所ということでハーケッシャーマルクトの駅前広場で落ち合う事になった。
いつもの如く、少し早めに家を出て思ったより冷えの厳しい中、広場へ向かう。
勿論、おっぱい星人をバギーに乗せて。
約束の時間になっても彼らが現れないので、その辺をウロウロするものの、バギーごとお店の中に入るのも億劫だし、余りにも寒いので駅のすぐ側のカフェで暖を取る事にした。彼らの携帯番号も持っていないし、会えなければ仕方ないか、くらいの気持ちで。ロシア人とフランス人の友人には待たされてばかりのような気がするが、そんなことイチイチ気にしていてもこれまた仕方ないのである。

ちらちら窓の外を見ながらチャイを飲んでいると、馴染みの顔ぶれを見つけた。

「マキシム!ここ、ここ!!」

カフェの扉を開けて彼らを呼び止めることが出来た。
ただでさえ小さな駅前のカフェが急に賑やかになる。

それまで固い表情だったお店の男性もロシア語やら日本語やらが飛び交う中、柔らかい表情になったのが印象的だった。ナターシャがたどたどしい英語で飲み物を注文。

「シュガー?あ、サハラね。ハウマッチ???どのくらいシュガーを入れますか、だって。みんなどうする?」

などなど。6年のブランクは微塵も感じさせないのが不思議。
子供は分かり易く成長しているが、大人は見えない所で成長するものなのかもしれない。

「昔程、実験的な生活スタイルを求めなくなった。」

とマキシム。マキシムもナターシャもアートに携わっている人たちで、マキシムは最近では学校でIT関連の授業も持っているんだとか。モスクワのビエンナーレでは出展もするそうで、相変わらず精力的に活動している模様。ナターシャも定期的に展覧会に参加しているそうだ。ベルリンでeBoyに会えれば面白いかもね、という話になった。

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2時間程の外出を予定していたのが、結局はその後寒い中、連邦議事堂まで歩くことになり、せっかくだからドームも見て行こうということに。そこに至るまでの道中がこれまた面白かった。おっぱい星人が途中で少しひんひん泣き出すと、ナターシャが

「寒いから抱っこしてあげた方が良いよ。バギーはこんなに寒いと良くない、良くない。私はモスクワではいつもスリングで移動してたよ。」

と、おくるみの毛布を使って私にスリング風に星人を結わえ付け始めたのである。こういうところが肝っ玉母さんというか、ロシアを感じるのだ。

「もう何でも聞いてね。随分本も読んだし、大抵のことは経験上分かってるから。」

これまた心強い。議事堂内のケーファーというカフェでトイレに行こうとすると、おむつ替えるんだったら手伝ってあげる!とこれまた同行。移動中もイゴールが空いたバギーを押してくれたりと、自然に小さな家族のようになるのである。

あー、懐かしい。この感じ。
私がロシア人を愛おしく思って止まないのはこういう親密な空気が自然に出来上がるところなのかもしれない。

そして、この日は案の定寒さにブルブル震えながら、クタクタになって帰途に着いたのである(笑)。

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by zaichik49 | 2009-12-30 17:52 | ロシア

こんな夢を見た081017

夜にあまりにもリアルなこんな夢を見てパッチリ目が覚めてしまった。

ひょろーっとしたカプチョーニに良く似た人が何の脈絡もなく、
エレベーターに同級生らしき人二人と一緒にいた私を
じーっと穴のあくほど凝視しながらこう言った。

「モスクワ一の夜景が見えるアパートがあるんだ、連れてってあげるよ!」

返事もしていないのに、エレベーターからひょいっと飛び降り、
丘か山のような凸凹している所を、
足下の砂に足を取られそうになりながらぴょんぴょんと
ジャンプしながら急いで降りていく羽目になった。

夜道なので、飛び移る場所の見極めや
タイミングを計るのに結構ハラハラしながら。

それでもそうやって月明かりに照らされながら、
結構なスピードで飛んで移動するのは心地よかった。

そうして着いたのはダーチャのような小屋だった。

「あれ、夜景とかって言ってなかったっけ???」(ま、いいか。)

灯りがすでに点いていたので誰かが中にいたはずなのに、
入ってみると誰もいない。
中に入った途端、さっきまで一緒にいたはずの
同級生二人は姿を消していた。

誰も夜景の話なんて最初からなかったように、
その小さな、ほわーっとした灯りの点された部屋で
寛ごうとしていた。何と言うか、そこは初めて来たところではない
親密な懐かしい感じのする部屋だった。

それはそうと、私はさっきから気になっていたことを
勇気を出して聞いてみよう、と心に決めた。

「ねぇ、何で足にきのこが生えてるの?
実はさっきから気になってたんだけど。」

「あ、これ?医者が言うには頭がお腹のきのこを
楽しそうに食べたせいで、それが
頭の中で育っているらしいんだ。」

と、理屈の通らない説明をしながら、
男はソックスを脱ごうとしている。

きのこがソックスに引っかかるようにしてしなり、
ぴょこん、とまた真っすぐ元に戻った。

確かにえのきのような細いひょろひょろした
キノコが足の甲にたくさん生えているではないか・・・

それは何だか滑稽でもあり、とても悲しくなる光景でもあった。

「キノコになってしまうの?」

「うん、そうかもしれない。」

それを聞いて、この人がキノコになったとしても
大事に育ててあげよう、鉢植えにして。
と心から思った。


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by zaichik49 | 2008-10-23 17:56 | モスクワ

ヴィクトル・ペレーヴィン


前回のアクーニン(グレゴーリイ・チハルチシヴィリ)に続き、現在のロシアで話題になっている作家と言えば、モスクワ生まれ、モスクワ在住のヴィクトル・ペレーヴィンではないだろうか。

「ペレーヴィンも読んでみた方が良いよ!」と三島由紀夫や村上春樹、川端康成などをがっつり読み込んでいるモスクヴィッチに勧められたのはいいが、ロシア語で読んでもさっぱり分からぬ、ぬぬぬ。

中でもタイトルからして気になったのが「чапаев и пустота(チェパーエフと空虚)」であるが、これまたロシア語ではすぐ挫折し、ベルリンでドイツ語訳も手に入れたがこれまた難解で挫折。頼みの綱は和訳のみという有様。

言語のせいだけではなく、難解なのが彼の特徴なのではないか、とさすがにここまで挫折して思う様になってきた。コンピューター上で繰り広げられるチャット形式のものや、ゲームの世界を舞台にした話など小説の手法だけでも風変わりなものが多い。「チャパーエフと空虚」に登場するチャパーエフの場合も実在した歴史上の人物チャパーエフにダブらせていたりもするそうなので、その辺のことにも精通していないと読み解けない仕組みになっているのではないだろうか。モスクヴィッチたちに言わせると、日本の精神性みたいなものも出て来るんだそうだ。和訳に是非とも期待したいところだ。

このペレーヴィン、ペレストロイカ後の1989年にロシアで起こった文学潮流「ターボ・リアリズム」の旗手として活躍しているそうだが、この流れはゴーゴリやカフカ、ブルガーコフらの系譜を受け継ぐとともに、ストガルツキー兄弟をはじめとするソ連SF小説の影響を強く受けて展開されている文学運動だというから面白い。ストガルツキー兄弟と言えば、タルコフスキーの映画「ストーカー」の原作者として有名であるので、彼らの著作にも近々トライしてみたいと思っている。

ペレーヴィンのサイトはこちらから。10月8日以降、残念ながらテキスト(一部音声ファイル付き)が掲載されなくなってしまった。音声ファイルを利用してロシア語を久しぶりに聞きたいと思っていた矢先だっただけに、非常に残念である。「購入」の欄には自作の書籍に混じり、村上春樹の「Охота на овец(羊をめぐる冒険)」も『現代の日本で最も常軌を逸した小説家による』と紹介されている。

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この恐らく偏屈であろうと思われる小説家だが、メディアに露出するのを嫌っているらしく、写真のほとんどはサングラスをかけたものなんだそうだ。

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*掲載写真はペレーヴィンのサイトhttp://pelevin.nov.ru/から。

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by zaichik49 | 2008-10-16 05:22 | カルチャー

ブログのタイトル変更について


これまで「チェブラーシカなロシア」と名付けて、ベルリンにやって来た95年から2000年くらいまでのモスクワでの体験について記憶を掘り起こしながら書き留めてきました。

モスクヴィッチとのベルリンでの出会いがモスクワでの就職、そしてあっと言う間の解雇と別れにも繋がっていったわけですが、ここでひとまずモスクワ体験記は自分の中で完結しました。

今後はモスクワやロシアに限らず、ベルリンのことも含め、常に境界線上に立っているという視点を基本にぼちぼち書いていこうかな、と思っています。
皆さん、今後ともよろしくお願いします。

2008年10月13日 ベルリンより
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by zaichik49 | 2008-10-13 18:55 | その他

モスクワ→ベルリン


そんな訳で今回の全ての試み(移住・就職・同居 etc.)は悲しくなるほどあっけなく幕を閉じた。初めてモスクワを訪れたのが95年の冬だったから、ベルリンに住みながらモスクワの訳の分からなさやモスクヴィッチに恋焦がれていたのが5年くらいということになる。

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さて、日本大使館からの帰り道にベルリンに帰る決心をし、クリニックで「帰る事にしたよ。」と宣言すると、年配のアメリカ人のドクターは二通の手書きのレターを見せてこう言った。「これを、クリニックマネージャーとエリアマネージャーに渡そうと思うんだ。これで問題ないかい?」

そこには彼らしい言葉でいかに"this Japanese young lady"がクリニックにとって貴重な存在か、ということが延々と述べられていた。正直言って、読んでいて照れるほどだった。その時の手紙は(何と彼は手書きで同様のレターを二部用意してくれていたのだ)今でも大切に取ってある。

勿論、シビアなマネージャーたちにそんな愛情のこもったレタ−など効き目があるわけもなく。そして、それを聞いたNASAマンは「そんなことしちゃったの?オーマイ・ガっ!逆に彼の立場がマズくなるよね。」「私もそう言ったんだけど、聞いてくれなくて。どうしよう?」「彼らしいよね。仕方ないよ。今日、終わったら皆でご飯食べに行こう。」

この二人のアメリカ人のドクター、全くタイプが違うのである。

夕食をNASAマンの同僚たち数人と取ったのだが、皆がとても優しくて何だかモスクワを離れるのが勿体なくなってしまった。ある場所を去る時というのは、そんな風にいつもより少しセンチメンタルになるものである。NASAマンは「もう、フライト確保しちゃったの?本当に帰るの?」と"definitive?"を連発していた。

それにしても、たかだか半年未満のモスクワ生活では、今まで経験したことがないほど、色々なことが一度に起こった気がする。感情の波や気持ちの上での変化、日常生活の中での事件、環境の変化など、どれを取っても過剰なくらいだった。

就職と解雇、プロポーズと拒絶、近い友人が打たれ、命を取り留め、新しい友人と別れ、住居確保と再度の引っ越し・・・

たまにそんな風にして、自分では抗えない流れのようなものが起きることがある。
ベルリンに行こうと決めた95年もそうだった。あの年は、阪神・淡路大震災やサリン事件が起きた年だった。

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ベルリンに戻ったのは2001年の6月末だった。これも不思議なことに、ベルリンの私のアパートに住んでいたロストック出身のドイツ人がベルリンでの生活に合わず、ロストックに戻ると決めたタイミングが丁度その頃だったからだ。

大量の荷物と共にモスクワから引き揚げたせいで、ベルリンのシューネフェルド空港には何とか到着したものの身動きが取れず途方に暮れてしまった。困り果てた挙げ句、ベルリン在住の一番長い日本人の知り合いにSOSを出した。「荷物が多すぎて、動けないから助けてもらってもいい?」

実は頼んだ本人がこのことをすっかり忘れていて、最近助けてくれた友人に話を聞いて思い出したのだが、自分の中でこの日のことは辛くて葬りさられた出来事だったようだ。ただ、今でも理解できないのはどうやってモスクワの空港まで辿り着いたのか、ということである。記憶がごっそり抜け落ちてしまっているのが何とも不思議だ。

何とかベルリンの小さな日当りの余り良いとはいえないアパートに戻り、テレビも洗濯機もないことに気が付き愕然とした。何と言うか、生活感の全くないアパートの様子に軽くショックを受けたのである。

だから、9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こった時にも、すぐにテレビを見る事が出来なかった。ただ、その日にNYへ行こうとしていた友人が飛行機がキャンセルになったために飛べなかったことだけは記憶に新しい。


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by zaichik49 | 2008-09-21 05:30 | モスクワ

モスクワで就職!? その10


そしてとうとう、南アフリカから白人のクリニックマネージャーがやって来た。最悪なことに、一目見た瞬間に生理的に受け付けないタイプであることが判明したのである。

(あっちゃー、これは前途多難だな・・・)

案の定、彼女は受付をちらっと見るなり、こう言い放ったではないか。

「あら、どうして受付に外国人がいるのかしら?」

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しかし、生活がかかっているロシア人は自分を守ることに徹するので、とにかくその威圧的な態度の、正直いけ好かないマネージャーに諂うばかり。
そう言えば、一度何かの場面で彼女につかつか歩み寄り、正面切って「先ほどのご意見には賛成出来ないのですが。」みたいなことを言い放ったことがあるのだが、その瞬間周囲にいたロシア人看護婦らの顔面は引きつり、その場が凍り付いたような気がしたものだ。そして彼女が去った後に口を揃えて彼らはこう言うではないか。「何であんなこと言っちゃったの?」と。ある意味、主張しないとやって行けないドイツ流になっているのである。

マネージャーが変わっただけで、クリニックはこんな風にいとも簡単に権威主義的な空間と化してしまった。ここで語弊を恐れずに敢えて言えば、さすが南アフリカ、しかも白人と言えばアパルトヘイトが法制化されていたような国だからなのか、彼女が目の敵にしたのは、まず受付にいる外国人だった。そしてそれを庇おうと働きかけたアメリカ人のドクターにもしわ寄せが。

こちらとしてみれば、ロシア語能力は不十分だからという理由で受付業務は断ったにもかかわらず日本人患者のためにも是非採用したいというので、ベルリンからわざわざモスクワに引っ越しまでしたという経緯がある。その上、慣れない医学用語と四面楚歌な職場で戦う毎日だったというのに、3ヶ月も経たないうちにクリニックマネージャーが別の人間になったということだけで、クリニック自体の方針が180度変わるという事態に直面してしまったというわけだ。タイミングが悪いとはまさにこういうことを言うのだ。

さすがにこの状況を踏まえると、彼女のやり方に笑顔で対処できるわけがない。

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結果、若さ故(?)の宣戦布告ということになる。

「ロシア語の不十分さは了解の上で半年の猶予を貰い、受付業務にも配置されたのです。それを後で来た貴方に文句を言われても納得できません。それに貴方だってロシア語が全く話せないじゃありませんか。受付に外国人など絶対に必要ないとお考えであれば仕方ありません、そこまでして残りたいとも思いません。ただし、ある日本人患者さんのために残りの数ヶ月は通わせて貰うのが条件ですが。それだけは何と言われおうと譲れません。クリニックのマネージャーならば、患者さんのことを第一に考えて頂けますか。」と。

アメリカ人のドクターふたりにマネージャーは私のことが気に入らないらしい、と伝えると、「何てことだ!首にする何てあり得ない事だよ!!エリアマネージャーに直談判してみるよ。」と熱くなる年配ドクター。そして、「そんなことになっちゃったの?ベルリンに帰る事にしたの??モスクワに何とか残れないのかな?」と珍しく顔色を変えて心配そうなNASAマン。

それだけで、もう十分だった。
もうやれるだけのことはやったのだ。
何とでもなれ、だ。

クリニックを訪れる日本人の中には大使館職員の方もいて、「もしまだモスクワで働きたいということであれば、一度いらして下さい」と言って頂いた。丁度、ひとつ席が空くというのである。そして、面接の際にその方は仕事内容の説明をとてもストレートな言葉で伝えてくれたのだ。「でも、ロシア語は全く必要ないですし、業務内容も事務用品の注文など備品の補充などですから、どちらかと言えば退屈かもしれません。私は、ベルリンに戻られた方が色んな意味でも本当に良いのではないかと思いますよ。」

その一言がきっかけで何かが自分の中ではっきりした。

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「帰ろう、もうベルリンに帰ろう。」

心の底からそう思った。思えば境界線上でぐらぐらしている時期が長過ぎたのだ。ロシアとドイツの。モスクワとベルリンの。

そして何とそのタイミングで、モスクヴィッチは「二人で生活がしたいんだ、ずっと。」と言ったのだ。それを聞いた瞬間に「いやだ、もう十分だ。ベルリンに帰る。」とモスクワの路上で叫んでいた自分が信じられなかった。

何かがそこで壊れてしまったのだ。多分。ずーっと努力して来たのだ。ロシアを理解しようと。ロシア人を理解しようと。ロシア語を理解しようと。でも、最後の最後でもうその力が残っていなかった。空っぽだったのだ。ある意味、どこかで自分を守ろうとしたんだとも思う。野性の感のようなもの。ここに残っちゃだめだ。帰らなくちゃ。

ベルリンに帰る。

そうして、このたかだか半年程度のモスクワでの就職がきっかけで、モスクワの全てにあっと言う間にピリオドが打たれたのだ。短かったけれど、まるで永遠のように思える時間だった。

いつもどこかで、きっかけを待っていたんだろうとも思う。

<まだ続きます>

*写真提供: 325


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by zaichik49 | 2008-09-16 05:35 | モスクワ

モスクワで就職!? その9


外国で外国人によるカウンセリングを受ける難しさについて。

通訳をしていて何が難しいかと言えば、カウンセリングを受ける側のバックグラウンド(日本の文化や家庭環境など)をカウンセラーが把握出来る様に説明をする必要が出てくる場合だ。勿論、基本的な感情は万国共通なのだが、文化的背景というところまで話が及ぶと単に訳しているだけでは間に合わなくなるのである。
後は、それぞれの言語の持つニュアンスの違いだろうか。

今ドイツに住んでいて思うのは、カウンセラーや精神科医という全くの第三者に抵抗なく自分の問題を話す、という精神分析の基本が一般的に広く浸透しているということだ。日本では恐らくまだ「最近、カウンセリングを受けているんだけれど」とそれほどオープンには話されていないんじゃないかと思う。
逆にドイツではこのテーマはかなり頻繁に日常会話に出てくる話題のひとつと言っていいくらいだ。「一度、行ってみて話をしたらどう?」と勧められたこともこれまでに何度かある。自分を分析してもらい、自己を知る行為をドイツ人はとても大切にしているようである。理性的なドイツ人には自己分析の方法として精神分析がぴったりなのかもしれない。逆に言うと、ロシア人の場合は友人を巻き込んで自分の悩みを延々と述べる感情的なタイプの人間が多いので、余り西欧的な精神分析やカウンセリングが浸透しているようには余り思えないのだが、いかがだろう?

それはそうと、モスクワのクリニックでアメリカ人のカウンセラーとカウンセリングを受けていた日本人の間に入っての通訳、というのは自分に取って毎回とても十分とは言い難い結果に終わっていた。ただ、その時にカウンセリングを受けていた人の助けに少しでもなっていたのであれば、それがせめてもの救いである。

不思議なことに、ロシアのクリニックで働くようになってから、周りにアメリカ人の同僚(知人)が増えたというのもある意味、皮肉な話ではある。ベルリンにはアメリカ人の知人など全くいないのだから。前にも述べたように、モスクワの方がベルリンよりも都会じみているし、ある意味国際的でビジネスも盛んなのである。

もうひとりのアメリカ人の同僚であったNASAマンは、NASAのメンバーのみが住んでいるセキュリティのしっかりとした専用ホテルに住んでいた。そこで、何度か食事に招待される機会があったのだが、そこで同僚の宇宙飛行士だという人に写真を何枚か見せてもらったことがある。なぜか、宇宙の話というよりも他愛もない話をしていたような気がするが、もっと不思議なことに見せてもらった写真の中でも特に、ぬいぐるみのような物体が宇宙船の中にたくさんぷかぷか浮いていたのを「何だこれは?」と思ったことが一番印象に残っている。

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モスクワではそんな風にして、ベルリンではなかなか出会えないような人たちに実は出会っていたような気もするのだ。

ただ、一番強く感じた事は、NASAのメンバーのモスクワとモスクヴィッチのモスクワは交差することなど絶対にないし、別の国かと思うほどその生活が異なるということだった。どちらが良いとか悪いとかではなく、ただただ信じられないほど違うのである。その二つのモスクワを眺めていると、自分がどちらにも行けず境界線の上でゆらゆらバランスを取っているような妙な気分にさせられた。

「一体、どこに行けばいいんだ?」

そんな自分をもどかしく思っていたが、とうとうクリニックのマネージャーが代わることになった。それも南アフリカから来た白人である。

彼女は予想通り、初の外国人の受付スタッフである日本人に攻撃を開始することになる。

<その10へ続く>


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by zaichik49 | 2008-09-15 22:26 | モスクワ

モスクワで就職!? その8


前回はクリニックマネージャーがクリニック初の日本人の採用を決めたアメリカ人から、南アフリカから来た新しいマネージャーに代わる、というところで締めくくったが、ここで少し話題を変えることにしようと思う。


トベルスカヤの新しい住居にモスクヴィッチが毎日のように押し掛けてくることも少なくなり、クリニックでの電話対応や業務にも少し慣れてきた頃の生活振りについて。

クリニックにいたアメリカ人ドクターのひとりは例の初日に声をかけてくれたNASAマン。もうひとりはそれよりも年配のドクターだった。年配のドクターはロシア語に興味があり、ロシア文学や演劇に通じた人だった。彼に色々教えてもらいながら勤務後に劇場に出かける事が多くなった。

さすがにロシア語で展開される劇の内容を詳細に至るまで把握するのは無理だが、正直これは、今のドイツ語レベルでドイツの現代劇を簡単に理解出来るかと言えば、そうでもないのでロシア語で意味が取れないのはある意味、致し方ない。

言葉の問題はさておき、まずモスクワの演劇界のレベルの高さには舌を巻いた。とにかく役者に味があるのである。言葉が分からなくても十分見応えがあり、演出も捻りの利いた辛口なものが多い。ドイツのシアターは奇抜さばかりが全面に押し出され、ヘンテコリンなものが増えているためか、がっかりして帰ることが多いのだがモスクワのそれは違った。

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タガンカ劇場(タガンカ・モスクワ・ドラマ・コメディ劇場)
やアパートから徒歩ですぐのところにあった
マヤコフスキー劇場には頻繁に足を運んだ。

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マヤコフスキー劇場のあるボリショイ・ニキーツカヤ通りにはモスクワ国立音楽院大ホールがあり、そこでクラシックコンサートを聴く機会も増えた。それまでは、ベルリンに住んでいながらベルリンフィルに足を運んだことさえなかったのだが、その大ホールで聴いたラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が余りにも衝撃的だったことから、クラシック音楽に対する姿勢が180度変わってしまった。コンサートホールでオーケストラを聴いて、自然に涙が出たという経験をしたのはモスクワでのそれが初めてのことだった。ロシアの音楽はロシア人の演奏で聴かないとだめなんだな、なんていうことをその時どこかで思っていたような気がする。

あのくらい衝撃的だったコンサートは恐らく、何年か後に仕事で白夜祭のペテルブルクへ撮影に行った時に聴いたゲルギーエフの指揮によるプロコフィエフだろうか。その時は彼の綴りだす音よりも、インタビューの際に会った本人から溢れ出すオーラとエネルギーにたじたじになった記憶の方が強烈なのだが。

何はともあれ、ロシア芸術の持つ「うねり」には強く惹かれる。
モスクワ滞在中にこうした芸術に出会えたことは思えば貴重な体験だった。

さて、そろそろ仕事の話に戻ろう。

相変わらず、「心房細動、不整脈、メバロチン、脳血栓、メチゾール、インドロール、偏頭痛、鼻水、悪寒」などの言葉に囲まれる毎日だったが、自分の中で特に印象に残っていることがある。それは、カウンセリングに通訳として立ち会ったことだ。初めはそんなプライベートな空間に通訳としてとはいえ、同席していいものかと驚いたのだが本人了承の上ということなので引き受けることにした。

ロシア人同僚とのギスギスしがちな受付業務と比べると、そこはクリニック内のオアシスのようだった。アメリカ人のカウンセラーも含め3人だけの安全な空間、とでも言おうか。カウンセラーのアメリカ人はカウンセリングの途中で邪魔が入るのを当然の如くとても嫌ったので、1時間ほどの時間はある意味、完全に私たちだけの時間だった。不思議なもので、カウンセリングに立ち会うことでかなり助かる部分も多かった。

ただ、そこで外国で外国人のカウンセリングを受ける難しさというものも経験した。
通訳の難しさも含めて。

*写真はそれぞれの劇場HPから。

<その9に続く>


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by zaichik49 | 2008-09-13 22:09 | モスクワ

モスクワで就職!? その7


こんなにも1日が長いなんて・・・
しかも明日は8時出勤。
出勤時間は同僚たちと相談して割り振るのだが、10時半から19時までの時もあれば、9時から16時半だったり、14時半から21時までという日もあった。
ただし、時間計算なので残業代もしっかり出る仕組みではある。

ロシアには銀行口座を持ちたくないので、基本的にドイツの銀行に振り込んでもらい、後はルーブル立てで手渡ししてもらうようにすることにした。
そんなわけで1ヶ月に1度は3から4連休にして、ベルリンに戻っていた。
モスクワで仕事をして生活する、ということは自分が想像していた以上に大変で、たまにベルリンに帰らないと息が詰まるというか、色んな意味でバランスが取れなかったのだ。

案の定、水が合わなかったのかストレスのせいなのか、身体も付いて行かず初めの1週間で何と5キロも痩せてしまった。滅多な事では体重には響かないタイプなので、これはマズいんじゃないかと。ただ、何が安心かというとそんな時でもすぐに診てもらって薬を出してもらえることだ。
これがないとモスクワで働く気にはなれなかったかもしれない。ただ、受付にいる人間が病気では意味がないので、風邪もオチオチ引いていられないのは事実である。
しかし普通の人間であれば、慣れないモスクワの冬の寒さに耐えられるはずもなく、西側のドクターもよく病欠届けを出して休んでいるようで、ある意味ホッとさせられた。寒さが尋常ではないのだ。

毎日、朝から晩まで緊張の連続、そして自宅では医学用語という不慣れな言葉との格闘を続けていたが、唯一自分の役割というか受付にいる意味は、日本人の患者さんたちがクリニックに来る時だったのではないかと思う。

「こんにちは!」

と日本語で挨拶すると、大抵の日本人は一瞬「あれ?」という顔をし、次の瞬間にはぱーっと笑みを浮かべてこちらに挨拶を返してくれた。「日本人の方ですか?」と嬉しそうに色々話をしてくれる患者さんもいた。モスクワの支社に赴任している人、特派員、大使館員、留学生などが主な患者さんだったが、やはり身体の弱っている時は精神的にも弱くなるし、モスクワで生活している日本人にとっては、病院に来た時に無愛想なロシア人の受付よりも、日本語の出来る日本人がいる方が誰だって嬉しいし安心するのである。特に冬は寒さから来る風邪と道が滑るのとで骨折の患者さんが多かった。

アメリカ人のドクター(内科医及び内分泌内科医)が二人いたのだが、彼らが口を揃えて言ったことが、これ。「ロシア人の女性は受付でにこっともしない。あれはどうにも理解できないよ。それに比べて君の笑顔は最高だね!」

確かにロシア人というのは、お店の店員ひとりとっても「あんた私に何か用?」くらいの勢いで無愛想である。ミネラルウォーターを買うだけでもケンカ腰になる。「何か用かとは何だ!水が欲しいって言ってるんだから早くよこせ!」的な展開にあの対応だと成らざるを得ない。下手に出るといつまでたっても水をゲット出来ないのである。それを外国人の多いクリニックでやるのは法外だし(勿論、店員ほどひどくはないにせよ)患者さんの気持ちになれば笑顔で対応するのは基本である。これくらいのことは日本人であれば言われなくても自然に分かる。日本はサービスの国だが、日本とロシアでは天と地ほどの差がある。

逆に、ロシア人の彼女らの立場になってみると仕事も生活もキツい、給料も少ない(現地スタッフはそんなにもらっていないことが判明)、訳のわからない日本人が来て腹立たしい(?)、と色々大変なのであろう。出来れば外国人のドクターと結婚してモスクワからとっととヨーロッパ(西欧)に移住したいというのが大方の本音のようだ。彼女たちも彼女らなりに大変なのだ。向こうにしてみれば、日本人がドイツのベルリンからわざわざモスクワまでやって来て仕事がしたいなんて気違い沙汰なのである。まあ、確かにそれはそうかもしれない。経験を積むためにわざわざモスクワまで来るなんて、ある意味馬鹿げているのかもしれない。選択出来る自由というのはそういうことだ。そして、彼女らにはある意味、「馬鹿馬鹿しいことを敢えてする」という自由がない。

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不規則な出勤時間と不慣れな仕事。そしてモスクヴィッチの自宅訪問の応酬。これらを全部こなすのは到底無理難題である。彼らは電話もよこさず、何時でも家のベルを鳴らす。これにはホトホト参ってしまった。参っているだけではなく、本気で頭に来る様になり、「頼むから電話くらい来る前にしてくれないか。」と言うことにした。その内、訪問客の足は途絶えたのだが、ベルリナーに比べ、モスクヴィッチには他人の生活を尊重するという姿勢が皆無である。自分が気の向いた時に友人を訪れる、というのは普通のことなのである。カルチャーと言ってもいいかもしれない。定職に就いている人間が周りに少なかったのも原因かもしれないが、実際に仕事を持って生活する、ということになると遊びに来ている時とは違い、そうそう彼らのペースに合わせてもいられなくなる。そのことをまず理解してもらうのが大変だった。そんな訳でてっきり二人暮らしをするんだ、と思い込んでいたカプチョーニにも「ひとりにしてくれ。」と言い渡す事になる。

今から思えば、何から何まで新しい事だらけで、マイペースを保つのが相当大変だったんだろうと思う。何と言っても、海外初就職だったわけで、しかも初の日本人採用で後は全て外国人という環境だった。

ところが、アメリカ人のクリニックマネージャーが移動になり、南アフリカから新しいクリニックマネージャーが来る事になったのである。

<その8へ続く>


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by zaichik49 | 2008-09-07 21:09 | モスクワ


ベルリン在住、ベルリナーによるモスクワ体験記も一段落。今後も気になるロシアや現在のベルリン生活の中で想うことをつらつら書いていこうと思います。


by zaichik49

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2009年9月29日に長女を出産しました。タグの「妊娠」にて妊娠覚え書きをまとめてみましたので、また覗いて見てください。

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