タグ:ロシア ( 40 ) タグの人気記事

ロシアの冬


前回の「長い嘆き」と呼ばれた陸橋の写真に続き、部屋の整理中に出て来た写真がこちら。

a0087352_44375.jpg


「ロシアでの年越し」と題して、ロシアのプスコフでの年越しについて以前書いたことがあるのだが、その時に撮影した写真である。

a0087352_46739.jpg


あの時は本当に何の変哲もない自然が恐ろしいほど美しく神秘的にさえ見えたものだった。
ロシアは本当に冬が良く似合う。

人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2009-08-29 04:16 | ロシア

 「未完の論文」 / ボリス・ミハイロフ


ある雨の日曜日、特にすることもなく、アインシュタインというカフェに行った帰りに立ち寄った美術館のブックストアで、何度か目にしたことのあるウクライナのフォトグラファーの本が目に留まった。

それがボリス・ミハイロフの「未完の論文」(Unvollendete Dissertation)である。
半額以下になっていたこともあり、迷わず購入。ハンブルガーバーンホーフのブックストアは古いカタログや書籍、写真集などを値下げして販売しているコーナーがあるのがうれしい。

さて、今まで何度か展覧会で観たこの人の写真はきれい、とか魅力的、というよりもどちらかと言うと現実的でグロテスクな印象が強かった。しかし、この写真集には何の変哲もない日常を切り取った肩の凝らない写真が多く、その質感もノスタルジーを覚えさせられるものだった。

裏表紙にはこうある。

BORIS MICHAILOW、1938年にウクライナの*ハルキウ(ハリコフ)で生まれる。1984年に「未完の論文」の構想に着手。ソビエト連邦がまだ存在し、誰もゴルバチョフやペレストロイカについて聞いたこともなかった時代だ。ミハイロフは自分の故郷であるハルキウで日常を写真に撮り、誰かが書き始め、そして書き終えなかった論文の裏に写真を貼り、その周りにテキストを書き落とした。テキストは哲学、文学、学術的なものから、彼が道や家でふと耳に挟んだものを引用したものと、彼自身の秘密めいたそしてユーモア溢れた人生や写真、そして世界そのものに対する考えが結びつけられたものとなっている。


*ハルキウ(ハリコフ):キエフに次いでウクライナで2番目に大きな都市。ソビエト連邦においてもモスクワ、レニングラードに次ぐ第三の工業都市であった。

写真の質も論文の紙もソ連時代特有の古びたものだが、写真はどうやら自宅のトイレを暗室にして現像されたものらしく、その出来具合がまた何ともいえない味を出している。

こういうソ連時代の古びたかび臭さ、というものはなかなか西側ではお目にかかれない貴重なものである。
モスクワで95年に見たマッチ箱ひとつ取っても、質の悪い厚紙にこれまたインクの滲んだようなプリントが何とも言えない良さを出していて、何だかうれしくなったのを覚えている。西側のつるっとした感じがなく、ゴワゴワしていて完璧ではないところに惹かれてしまうのだから不思議なものだ。

「未完の美」?

それはともかく、写真集の中から何枚かを紹介しよう。


Es gibt keine Sehnsucht.
憧れはない。
a0087352_1591344.jpg


Es gibt keine Sehnsucht
nach der Hauptstraße, 
mehr noch - 
es gibt keine Hauptstraße.
メインストリートに憧れはない。
さらに言うと、
メインストリートは存在しない。
-------------------------------------------------

"Das Schöne bei anderen"
um mich herum ist nicht mehr neu,
dem etwas entgegenzusetzen,
ist noch langweiliger geworden.
「他人の芝は青い。」
私の周りには新しいものがない、
それに抵抗するのはもっと退屈になった。

a0087352_242852.jpg


Und die Straßen sehen immer
öfter wie Kompositionen aus, die
keinelei Sinn haben.
そして道はかなり頻繁に
何の意味合いも持たない
コンポジションに見える。

-------------------------------------------------

Событие - "So-bytie" - "Mit-Sein"
出来事と存在の関係についてのテキスト

a0087352_29621.jpg



今日も雨だったが、何をしてもうまくいかないというより
集中できない不甲斐ない一日であった。

トホホ。

人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2009-06-08 04:14 | アート

滅びの都


毎回、日本に帰国する前に購入したい書籍をリストアップするようにしているが、去年11月に購入した本の中で一番印象に残ったのがこちらである。

a0087352_3322292.jpg


滅びの都 (群像社ライブラリー)
アルカージイ・ストルガツキイ (著), ボリス・ ストルガツキイ (著), 佐藤 祥子 (翻訳)

全人民の幸福を実現する実験のため「都市」では国家を捨てた人間たちが世界中から集まり働いている。人工太陽が明滅する「都市」の内部では、労働する人間に進化するはずのサルの群れが暴れ、赤い館に入った住民の連続失踪事件が起こり、急進改革派はクーデタで起死回生をはかる—。ごみ収集員から大統領補佐官にのぼりつめたロシア人アンドレイと過去の文書を読みふけるユダヤ人カツマンの都市=地獄めぐりを軸に、全体主義のイメージを脳裏にきざみこむストルガツキイ兄弟最期の長編。


アマゾンのサイトでタルコフスキー→ストーカーの順でヒットしたのが上記のSF作品だった。

さて、このストルガツキイ兄弟であるが、二人組のSF作家で兄アルカージイは日本文学者、弟のボリスは天文学者でもある。1957年から兄弟合作の形でSF小説を発表し始めた。彼らの創作活動は<現代を把握するためのモデルづくり>であり、その鋭い社会的姿勢は、しばしばソビエト体制と衝突した。発禁になった著書も何冊かある。

ロシアの作家の作品には難解なものが多いが、この物語もその類に漏れずかなり複雑な内容になっている。幸い、日本語訳があり親切な解説付きということで、ある程度までは筋書きが追えたが、それにしても随分と込み入った話ではあった。それにも関わらず、久しぶりに一気に終わりまで読んでしまえたのが他の難解な本とは違うところだ。

1996年にボリス・ストルガツキイがサンクト・ペテルブルクにて記した、日本の読者に対するまえがきから一部を抜粋してみよう。この物語が描かれた時代背景が少しは伝わるのではないかと思う。

 この小説が書かれたのは、実に気の遠くなるほど昔のことである! 小説に描かれた時代と人間たちも、作者の構想が生まれ、熟し、作品になった国ももはや間にも残っていない。

 われわれが作品の構想を練りはじめたのは1968年で、この小説がわれわれの存命中に発表されることがまずありえないことは最初から分かっていた。以下がわれわれの計画だった。書きあげ、3−4部タイプしてからそれをいろんな出版所と編集部に送るー出版するためではなく、人に読んでもらうためである。さらに、ああした状況下ではつねに「自己増殖」が起こるということを経験上、知っていたーコピーの枚数は幾何級数的に増え、読者の数が幾何級数的に増えていくと。

 しかし、このささやかな計画が陽の目を見ないことは、すでに70年代初頭にはっきりした。この作品はわが国でたんに「通らない」だけではすまないことになった。危険ということになったのである。これを手放すわけにはいかなかった。勝手に泳がせたなら、編集部に渡るのでも出版所に渡るのでもなく、以前ワシーリイ・グロスマン*の小説に起きたように作品が差し押さえられる恐れがあったのだ。
(中略)
 ロシアの読者も含め、現代の読者は、当時のわれわれの危惧をもはや理解できまい。今の読者は「通らない小説」が何のことかまったく分からないし、検閲が何なのかも知らない。ソヴィエト・コミュニズムとドイツ・ファシズムが驚くほど似ているというかつての反逆思想も、腹いっぱい食べられる社会イコール幸せな社会では決してないというかつて禁じられていた考えも、(中略)今の読者には常識になっている。


このまえがきの中で過去を振り返りながらも、ボリス・ストルガツキイはこの小説が現代の読者にとって切実な問題性を失っていないのではないか、と述べている。何のために生きるのか?われわれの世界はどこへ行くのか?そしてそれはどうなるべきか?またわれわれはどうなるべきか?日本の読者も同じような問題を立て、それになんらかのかたちで答えざるをえないのではないか、と。
SF作家にはいつも先見の明があるように思えてならない。

そして、いつの時代にも問題の核にあるのはこのように何か普遍的なものなのかもしれない。

*グロースマン(Vasilii Semyonovich Grossman, 1905-64)
作家。ウクライナの生まれ。モスクワ大学理数学部を卒業後、科学技師として働く。1934年に処女作「グリュカウフ」。同年発表の「ベルディチェフ市」でゴーリキーに認められる。戦後すぐに発表した戯曲「ピタゴラス派を信ずると」(1952)は厳しい批判を受け、未完の長篇「正義のために」(1952)は思想的誤謬を含んだ作品と攻撃された。

人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2009-04-20 02:02 | ロシア

ロシアの大地とВий


a0087352_6552690.jpg

先日、机の脇に重ねてあった書類の山を探っていると、2004年6月にプリントアウトしていた紙が出て来た。

それはニコライ・ゴーゴリの「Вий(=Vij/ヴィイ)」が気になって調べたものだった。
きっかけはいつものように友人の一言。
「『ヴィイ』は最高のホラームービーだよ!」と教えてくれたのは、ベルリンに住んでいるリトアニアの友人ダリウスだった。彼は映像や音にとても敏感なタイプで、会う度に気になっている映像や音について色々教えてくれた。そしてそのお薦めのホラー映画とやらをオリジナル版で見せてもらったのだ。何となくあらすじは掴めたものの、分からない部分もあったためもっと色々知りたくなったわけだ。

百聞は一見にしかず、ということでまずは映画のクライマックスとも言えるこちらのリンクをご覧あれ。

ロシア語が分からなくても映像だけで十分怖い、というより笑えるのではないかと思う。
嗅ぎタバコのくしゃみでパチっと目を見開く美女の死体やその彼女が棺桶に乗ってグルグル飛び回るところ、カタカタ歯を鳴らして笑う骸骨などなど何ともユーモラスで味がある。

実は初めてこの映画を見た時には肝心のВий(=Vij/ヴィイ)が何を指すのか良く分からなかった。ダリウス曰く、この映画はソビエト時代に「鼻」や「外套」などで知られるゴーゴリの原作「ヴィイ」をベースに作られたというので、映画を見せてもらった後に早速調べてみた。

引用も含め、以下にざっとあらすじを書いてみよう。

舞台は小ロシア(=ウクライナ)。ホマーという神学生は夏休みの帰省の途上、老婆の魔女に襲われるが、悪魔祓いの呪文でこれを撃退。逆に散々に老婆を打ち据えると、いつの間にか老婆は美女にその姿を変えていた。
息も絶え絶えの美女を後に彼は学校に一目散で逃げ帰ったが、ある金持ちに呼ばれ、死んだ娘に三晩の祈祷を依頼される。何とその娘はホマーが先日打ち据えた魔女であった。
最初の晩にホマーが祈りを捧げていると、死んだはずの娘が起き上がり、彼に向かって来た。
ホマーが自分の周りにチョークで円を書き、悪魔祓いの呪文を唱えると、死体は円の内側を見ることも、その中に入ることも出来ない。初日の晩は何とか切り抜ける。次の晩に魔女は仲間の魔物を呼んだが、同じようにしてやり過ごす。三日目の晩には魔女と多くの魔物たちがホマーの描いた円の周りに集まってくるが、彼を見つけることが出来ない。

「ヴィイを連れて来い!ヴィイを迎えに行け!」死人の声が響き渡った。(中略)間もなく重い足音が聞こえてきて、教会中に響き渡った。ちらと横目で見ると、なにやらずんぐりとして、頑丈な、足が内側に曲がった人間が連れて来られるところだった。全身真っ黒な土にまみれている。筋張った、頑丈な木の根さながらの、土のこびりついた手足が目についた。絶えずつまずきながら、重い足取りで歩んでくる。ながあーい瞼が地面まで伸びていた。その顔が鉄であることに気づいて、ホマーはぎょっとした。化物は両脇を抱えて連れてこられ、ホマーの立っている場所のすぐ真ん前に立った。
「おれの瞼をあげてくれ。見えない!」とヴィイが地下に籠るような声で言った。魔物どもが一斉に駆け寄って、瞼をあげようとした。《見るんじゃない!》——となにやら内心の声が哲学級生にささやいた。が、我慢できなくなって、見た。
「ここにいる!」とヴィイが叫んで、鉄の指をホマーに向けた。そこにいた限りの魔物がホマーに飛びかかった。彼は息絶えてどうと床に倒れ、恐怖のあまり魂は即座に身体から抜け出してしまった。

ゴーゴリ「ヴィイ」小平武訳より


なんとこのヴィイ、ブイイとして水木しげるの「鬼太郎」第98話にも登場しているらしい。こちらも機会があれば見てみたいものである。

革命前のロシアには至るところに精霊、あるいは妖精、妖怪が住んでいたらしい。家に住みつく霊『ドモヴォーイ』をはじめ、精霊に関する寓話として『水の精ヴォジャノーイ』、『森の精レーシー』、『水と森の精ルサールカ』なども存在した。ロシアの森はそういった意味でも日本の森と少しばかり似た空気を持っているような気がする。何かが住んでいるような鬱蒼とした感じとでも言おうか。これがドイツの森では不思議とほとんど感じないのである。几帳面なドイツ人らしく、森にまで手が隅々まで加えられ整然としているため妖精や妖怪の居場所が無さげ、とでも言おうか。少し話が脱線したが、至るところに精霊の類いが住んでいるような土壌からヴィイが生まれたとしても何ら不思議ではない。

このヴィイ、妖怪ではあるがどちらかというと「賢者」的地位を持たされているようである。
見えない目で見るというか、他の者には見えないものを見通す力がある、という点で。

このヴィイ、興味のある方はこちらのリンクも是非ご覧いただきたい。

ヴィイ 001
ヴィイ 002
ヴィイ 003

ちなみに邦題は「妖婆 死棺の呪い」あるいは「魔女伝説ヴィー」。
死棺の呪いとはこれまた大した訳である・・・

a0087352_646443.jpg


DVDも出ているようなので是非・笑

人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2009-01-09 05:33 | カルチャー

こんな夢を見た081017

夜にあまりにもリアルなこんな夢を見てパッチリ目が覚めてしまった。

ひょろーっとしたカプチョーニに良く似た人が何の脈絡もなく、
エレベーターに同級生らしき人二人と一緒にいた私を
じーっと穴のあくほど凝視しながらこう言った。

「モスクワ一の夜景が見えるアパートがあるんだ、連れてってあげるよ!」

返事もしていないのに、エレベーターからひょいっと飛び降り、
丘か山のような凸凹している所を、
足下の砂に足を取られそうになりながらぴょんぴょんと
ジャンプしながら急いで降りていく羽目になった。

夜道なので、飛び移る場所の見極めや
タイミングを計るのに結構ハラハラしながら。

それでもそうやって月明かりに照らされながら、
結構なスピードで飛んで移動するのは心地よかった。

そうして着いたのはダーチャのような小屋だった。

「あれ、夜景とかって言ってなかったっけ???」(ま、いいか。)

灯りがすでに点いていたので誰かが中にいたはずなのに、
入ってみると誰もいない。
中に入った途端、さっきまで一緒にいたはずの
同級生二人は姿を消していた。

誰も夜景の話なんて最初からなかったように、
その小さな、ほわーっとした灯りの点された部屋で
寛ごうとしていた。何と言うか、そこは初めて来たところではない
親密な懐かしい感じのする部屋だった。

それはそうと、私はさっきから気になっていたことを
勇気を出して聞いてみよう、と心に決めた。

「ねぇ、何で足にきのこが生えてるの?
実はさっきから気になってたんだけど。」

「あ、これ?医者が言うには頭がお腹のきのこを
楽しそうに食べたせいで、それが
頭の中で育っているらしいんだ。」

と、理屈の通らない説明をしながら、
男はソックスを脱ごうとしている。

きのこがソックスに引っかかるようにしてしなり、
ぴょこん、とまた真っすぐ元に戻った。

確かにえのきのような細いひょろひょろした
キノコが足の甲にたくさん生えているではないか・・・

それは何だか滑稽でもあり、とても悲しくなる光景でもあった。

「キノコになってしまうの?」

「うん、そうかもしれない。」

それを聞いて、この人がキノコになったとしても
大事に育ててあげよう、鉢植えにして。
と心から思った。


人気ブログランキングへ

a0087352_17103397.jpg
[PR]
by zaichik49 | 2008-10-23 17:56 | モスクワ

ヴィクトル・ペレーヴィン


前回のアクーニン(グレゴーリイ・チハルチシヴィリ)に続き、現在のロシアで話題になっている作家と言えば、モスクワ生まれ、モスクワ在住のヴィクトル・ペレーヴィンではないだろうか。

「ペレーヴィンも読んでみた方が良いよ!」と三島由紀夫や村上春樹、川端康成などをがっつり読み込んでいるモスクヴィッチに勧められたのはいいが、ロシア語で読んでもさっぱり分からぬ、ぬぬぬ。

中でもタイトルからして気になったのが「чапаев и пустота(チェパーエフと空虚)」であるが、これまたロシア語ではすぐ挫折し、ベルリンでドイツ語訳も手に入れたがこれまた難解で挫折。頼みの綱は和訳のみという有様。

言語のせいだけではなく、難解なのが彼の特徴なのではないか、とさすがにここまで挫折して思う様になってきた。コンピューター上で繰り広げられるチャット形式のものや、ゲームの世界を舞台にした話など小説の手法だけでも風変わりなものが多い。「チャパーエフと空虚」に登場するチャパーエフの場合も実在した歴史上の人物チャパーエフにダブらせていたりもするそうなので、その辺のことにも精通していないと読み解けない仕組みになっているのではないだろうか。モスクヴィッチたちに言わせると、日本の精神性みたいなものも出て来るんだそうだ。和訳に是非とも期待したいところだ。

このペレーヴィン、ペレストロイカ後の1989年にロシアで起こった文学潮流「ターボ・リアリズム」の旗手として活躍しているそうだが、この流れはゴーゴリやカフカ、ブルガーコフらの系譜を受け継ぐとともに、ストガルツキー兄弟をはじめとするソ連SF小説の影響を強く受けて展開されている文学運動だというから面白い。ストガルツキー兄弟と言えば、タルコフスキーの映画「ストーカー」の原作者として有名であるので、彼らの著作にも近々トライしてみたいと思っている。

ペレーヴィンのサイトはこちらから。10月8日以降、残念ながらテキスト(一部音声ファイル付き)が掲載されなくなってしまった。音声ファイルを利用してロシア語を久しぶりに聞きたいと思っていた矢先だっただけに、非常に残念である。「購入」の欄には自作の書籍に混じり、村上春樹の「Охота на овец(羊をめぐる冒険)」も『現代の日本で最も常軌を逸した小説家による』と紹介されている。

a0087352_21211314.jpg


この恐らく偏屈であろうと思われる小説家だが、メディアに露出するのを嫌っているらしく、写真のほとんどはサングラスをかけたものなんだそうだ。

a0087352_5131010.jpg


*掲載写真はペレーヴィンのサイトhttp://pelevin.nov.ru/から。

人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2008-10-16 05:22 | カルチャー

モスクワ→ベルリン


そんな訳で今回の全ての試み(移住・就職・同居 etc.)は悲しくなるほどあっけなく幕を閉じた。初めてモスクワを訪れたのが95年の冬だったから、ベルリンに住みながらモスクワの訳の分からなさやモスクヴィッチに恋焦がれていたのが5年くらいということになる。

a0087352_2036264.jpg


さて、日本大使館からの帰り道にベルリンに帰る決心をし、クリニックで「帰る事にしたよ。」と宣言すると、年配のアメリカ人のドクターは二通の手書きのレターを見せてこう言った。「これを、クリニックマネージャーとエリアマネージャーに渡そうと思うんだ。これで問題ないかい?」

そこには彼らしい言葉でいかに"this Japanese young lady"がクリニックにとって貴重な存在か、ということが延々と述べられていた。正直言って、読んでいて照れるほどだった。その時の手紙は(何と彼は手書きで同様のレターを二部用意してくれていたのだ)今でも大切に取ってある。

勿論、シビアなマネージャーたちにそんな愛情のこもったレタ−など効き目があるわけもなく。そして、それを聞いたNASAマンは「そんなことしちゃったの?オーマイ・ガっ!逆に彼の立場がマズくなるよね。」「私もそう言ったんだけど、聞いてくれなくて。どうしよう?」「彼らしいよね。仕方ないよ。今日、終わったら皆でご飯食べに行こう。」

この二人のアメリカ人のドクター、全くタイプが違うのである。

夕食をNASAマンの同僚たち数人と取ったのだが、皆がとても優しくて何だかモスクワを離れるのが勿体なくなってしまった。ある場所を去る時というのは、そんな風にいつもより少しセンチメンタルになるものである。NASAマンは「もう、フライト確保しちゃったの?本当に帰るの?」と"definitive?"を連発していた。

それにしても、たかだか半年未満のモスクワ生活では、今まで経験したことがないほど、色々なことが一度に起こった気がする。感情の波や気持ちの上での変化、日常生活の中での事件、環境の変化など、どれを取っても過剰なくらいだった。

就職と解雇、プロポーズと拒絶、近い友人が打たれ、命を取り留め、新しい友人と別れ、住居確保と再度の引っ越し・・・

たまにそんな風にして、自分では抗えない流れのようなものが起きることがある。
ベルリンに行こうと決めた95年もそうだった。あの年は、阪神・淡路大震災やサリン事件が起きた年だった。

a0087352_20433145.jpg


ベルリンに戻ったのは2001年の6月末だった。これも不思議なことに、ベルリンの私のアパートに住んでいたロストック出身のドイツ人がベルリンでの生活に合わず、ロストックに戻ると決めたタイミングが丁度その頃だったからだ。

大量の荷物と共にモスクワから引き揚げたせいで、ベルリンのシューネフェルド空港には何とか到着したものの身動きが取れず途方に暮れてしまった。困り果てた挙げ句、ベルリン在住の一番長い日本人の知り合いにSOSを出した。「荷物が多すぎて、動けないから助けてもらってもいい?」

実は頼んだ本人がこのことをすっかり忘れていて、最近助けてくれた友人に話を聞いて思い出したのだが、自分の中でこの日のことは辛くて葬りさられた出来事だったようだ。ただ、今でも理解できないのはどうやってモスクワの空港まで辿り着いたのか、ということである。記憶がごっそり抜け落ちてしまっているのが何とも不思議だ。

何とかベルリンの小さな日当りの余り良いとはいえないアパートに戻り、テレビも洗濯機もないことに気が付き愕然とした。何と言うか、生活感の全くないアパートの様子に軽くショックを受けたのである。

だから、9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こった時にも、すぐにテレビを見る事が出来なかった。ただ、その日にNYへ行こうとしていた友人が飛行機がキャンセルになったために飛べなかったことだけは記憶に新しい。


応援クリックお願いします↓
人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2008-09-21 05:30 | モスクワ

モスクワで就職!? その10


そしてとうとう、南アフリカから白人のクリニックマネージャーがやって来た。最悪なことに、一目見た瞬間に生理的に受け付けないタイプであることが判明したのである。

(あっちゃー、これは前途多難だな・・・)

案の定、彼女は受付をちらっと見るなり、こう言い放ったではないか。

「あら、どうして受付に外国人がいるのかしら?」

a0087352_23155718.jpg


しかし、生活がかかっているロシア人は自分を守ることに徹するので、とにかくその威圧的な態度の、正直いけ好かないマネージャーに諂うばかり。
そう言えば、一度何かの場面で彼女につかつか歩み寄り、正面切って「先ほどのご意見には賛成出来ないのですが。」みたいなことを言い放ったことがあるのだが、その瞬間周囲にいたロシア人看護婦らの顔面は引きつり、その場が凍り付いたような気がしたものだ。そして彼女が去った後に口を揃えて彼らはこう言うではないか。「何であんなこと言っちゃったの?」と。ある意味、主張しないとやって行けないドイツ流になっているのである。

マネージャーが変わっただけで、クリニックはこんな風にいとも簡単に権威主義的な空間と化してしまった。ここで語弊を恐れずに敢えて言えば、さすが南アフリカ、しかも白人と言えばアパルトヘイトが法制化されていたような国だからなのか、彼女が目の敵にしたのは、まず受付にいる外国人だった。そしてそれを庇おうと働きかけたアメリカ人のドクターにもしわ寄せが。

こちらとしてみれば、ロシア語能力は不十分だからという理由で受付業務は断ったにもかかわらず日本人患者のためにも是非採用したいというので、ベルリンからわざわざモスクワに引っ越しまでしたという経緯がある。その上、慣れない医学用語と四面楚歌な職場で戦う毎日だったというのに、3ヶ月も経たないうちにクリニックマネージャーが別の人間になったということだけで、クリニック自体の方針が180度変わるという事態に直面してしまったというわけだ。タイミングが悪いとはまさにこういうことを言うのだ。

さすがにこの状況を踏まえると、彼女のやり方に笑顔で対処できるわけがない。

a0087352_231631100.jpg


結果、若さ故(?)の宣戦布告ということになる。

「ロシア語の不十分さは了解の上で半年の猶予を貰い、受付業務にも配置されたのです。それを後で来た貴方に文句を言われても納得できません。それに貴方だってロシア語が全く話せないじゃありませんか。受付に外国人など絶対に必要ないとお考えであれば仕方ありません、そこまでして残りたいとも思いません。ただし、ある日本人患者さんのために残りの数ヶ月は通わせて貰うのが条件ですが。それだけは何と言われおうと譲れません。クリニックのマネージャーならば、患者さんのことを第一に考えて頂けますか。」と。

アメリカ人のドクターふたりにマネージャーは私のことが気に入らないらしい、と伝えると、「何てことだ!首にする何てあり得ない事だよ!!エリアマネージャーに直談判してみるよ。」と熱くなる年配ドクター。そして、「そんなことになっちゃったの?ベルリンに帰る事にしたの??モスクワに何とか残れないのかな?」と珍しく顔色を変えて心配そうなNASAマン。

それだけで、もう十分だった。
もうやれるだけのことはやったのだ。
何とでもなれ、だ。

クリニックを訪れる日本人の中には大使館職員の方もいて、「もしまだモスクワで働きたいということであれば、一度いらして下さい」と言って頂いた。丁度、ひとつ席が空くというのである。そして、面接の際にその方は仕事内容の説明をとてもストレートな言葉で伝えてくれたのだ。「でも、ロシア語は全く必要ないですし、業務内容も事務用品の注文など備品の補充などですから、どちらかと言えば退屈かもしれません。私は、ベルリンに戻られた方が色んな意味でも本当に良いのではないかと思いますよ。」

その一言がきっかけで何かが自分の中ではっきりした。

a0087352_2317672.jpg


「帰ろう、もうベルリンに帰ろう。」

心の底からそう思った。思えば境界線上でぐらぐらしている時期が長過ぎたのだ。ロシアとドイツの。モスクワとベルリンの。

そして何とそのタイミングで、モスクヴィッチは「二人で生活がしたいんだ、ずっと。」と言ったのだ。それを聞いた瞬間に「いやだ、もう十分だ。ベルリンに帰る。」とモスクワの路上で叫んでいた自分が信じられなかった。

何かがそこで壊れてしまったのだ。多分。ずーっと努力して来たのだ。ロシアを理解しようと。ロシア人を理解しようと。ロシア語を理解しようと。でも、最後の最後でもうその力が残っていなかった。空っぽだったのだ。ある意味、どこかで自分を守ろうとしたんだとも思う。野性の感のようなもの。ここに残っちゃだめだ。帰らなくちゃ。

ベルリンに帰る。

そうして、このたかだか半年程度のモスクワでの就職がきっかけで、モスクワの全てにあっと言う間にピリオドが打たれたのだ。短かったけれど、まるで永遠のように思える時間だった。

いつもどこかで、きっかけを待っていたんだろうとも思う。

<まだ続きます>

*写真提供: 325


応援クリックお願いします↓
人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2008-09-16 05:35 | モスクワ

モスクワで就職!? その9


外国で外国人によるカウンセリングを受ける難しさについて。

通訳をしていて何が難しいかと言えば、カウンセリングを受ける側のバックグラウンド(日本の文化や家庭環境など)をカウンセラーが把握出来る様に説明をする必要が出てくる場合だ。勿論、基本的な感情は万国共通なのだが、文化的背景というところまで話が及ぶと単に訳しているだけでは間に合わなくなるのである。
後は、それぞれの言語の持つニュアンスの違いだろうか。

今ドイツに住んでいて思うのは、カウンセラーや精神科医という全くの第三者に抵抗なく自分の問題を話す、という精神分析の基本が一般的に広く浸透しているということだ。日本では恐らくまだ「最近、カウンセリングを受けているんだけれど」とそれほどオープンには話されていないんじゃないかと思う。
逆にドイツではこのテーマはかなり頻繁に日常会話に出てくる話題のひとつと言っていいくらいだ。「一度、行ってみて話をしたらどう?」と勧められたこともこれまでに何度かある。自分を分析してもらい、自己を知る行為をドイツ人はとても大切にしているようである。理性的なドイツ人には自己分析の方法として精神分析がぴったりなのかもしれない。逆に言うと、ロシア人の場合は友人を巻き込んで自分の悩みを延々と述べる感情的なタイプの人間が多いので、余り西欧的な精神分析やカウンセリングが浸透しているようには余り思えないのだが、いかがだろう?

それはそうと、モスクワのクリニックでアメリカ人のカウンセラーとカウンセリングを受けていた日本人の間に入っての通訳、というのは自分に取って毎回とても十分とは言い難い結果に終わっていた。ただ、その時にカウンセリングを受けていた人の助けに少しでもなっていたのであれば、それがせめてもの救いである。

不思議なことに、ロシアのクリニックで働くようになってから、周りにアメリカ人の同僚(知人)が増えたというのもある意味、皮肉な話ではある。ベルリンにはアメリカ人の知人など全くいないのだから。前にも述べたように、モスクワの方がベルリンよりも都会じみているし、ある意味国際的でビジネスも盛んなのである。

もうひとりのアメリカ人の同僚であったNASAマンは、NASAのメンバーのみが住んでいるセキュリティのしっかりとした専用ホテルに住んでいた。そこで、何度か食事に招待される機会があったのだが、そこで同僚の宇宙飛行士だという人に写真を何枚か見せてもらったことがある。なぜか、宇宙の話というよりも他愛もない話をしていたような気がするが、もっと不思議なことに見せてもらった写真の中でも特に、ぬいぐるみのような物体が宇宙船の中にたくさんぷかぷか浮いていたのを「何だこれは?」と思ったことが一番印象に残っている。

a0087352_22255532.jpg


モスクワではそんな風にして、ベルリンではなかなか出会えないような人たちに実は出会っていたような気もするのだ。

ただ、一番強く感じた事は、NASAのメンバーのモスクワとモスクヴィッチのモスクワは交差することなど絶対にないし、別の国かと思うほどその生活が異なるということだった。どちらが良いとか悪いとかではなく、ただただ信じられないほど違うのである。その二つのモスクワを眺めていると、自分がどちらにも行けず境界線の上でゆらゆらバランスを取っているような妙な気分にさせられた。

「一体、どこに行けばいいんだ?」

そんな自分をもどかしく思っていたが、とうとうクリニックのマネージャーが代わることになった。それも南アフリカから来た白人である。

彼女は予想通り、初の外国人の受付スタッフである日本人に攻撃を開始することになる。

<その10へ続く>


応援クリックお願いします↓

人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2008-09-15 22:26 | モスクワ

モスクワで就職!? その7


こんなにも1日が長いなんて・・・
しかも明日は8時出勤。
出勤時間は同僚たちと相談して割り振るのだが、10時半から19時までの時もあれば、9時から16時半だったり、14時半から21時までという日もあった。
ただし、時間計算なので残業代もしっかり出る仕組みではある。

ロシアには銀行口座を持ちたくないので、基本的にドイツの銀行に振り込んでもらい、後はルーブル立てで手渡ししてもらうようにすることにした。
そんなわけで1ヶ月に1度は3から4連休にして、ベルリンに戻っていた。
モスクワで仕事をして生活する、ということは自分が想像していた以上に大変で、たまにベルリンに帰らないと息が詰まるというか、色んな意味でバランスが取れなかったのだ。

案の定、水が合わなかったのかストレスのせいなのか、身体も付いて行かず初めの1週間で何と5キロも痩せてしまった。滅多な事では体重には響かないタイプなので、これはマズいんじゃないかと。ただ、何が安心かというとそんな時でもすぐに診てもらって薬を出してもらえることだ。
これがないとモスクワで働く気にはなれなかったかもしれない。ただ、受付にいる人間が病気では意味がないので、風邪もオチオチ引いていられないのは事実である。
しかし普通の人間であれば、慣れないモスクワの冬の寒さに耐えられるはずもなく、西側のドクターもよく病欠届けを出して休んでいるようで、ある意味ホッとさせられた。寒さが尋常ではないのだ。

毎日、朝から晩まで緊張の連続、そして自宅では医学用語という不慣れな言葉との格闘を続けていたが、唯一自分の役割というか受付にいる意味は、日本人の患者さんたちがクリニックに来る時だったのではないかと思う。

「こんにちは!」

と日本語で挨拶すると、大抵の日本人は一瞬「あれ?」という顔をし、次の瞬間にはぱーっと笑みを浮かべてこちらに挨拶を返してくれた。「日本人の方ですか?」と嬉しそうに色々話をしてくれる患者さんもいた。モスクワの支社に赴任している人、特派員、大使館員、留学生などが主な患者さんだったが、やはり身体の弱っている時は精神的にも弱くなるし、モスクワで生活している日本人にとっては、病院に来た時に無愛想なロシア人の受付よりも、日本語の出来る日本人がいる方が誰だって嬉しいし安心するのである。特に冬は寒さから来る風邪と道が滑るのとで骨折の患者さんが多かった。

アメリカ人のドクター(内科医及び内分泌内科医)が二人いたのだが、彼らが口を揃えて言ったことが、これ。「ロシア人の女性は受付でにこっともしない。あれはどうにも理解できないよ。それに比べて君の笑顔は最高だね!」

確かにロシア人というのは、お店の店員ひとりとっても「あんた私に何か用?」くらいの勢いで無愛想である。ミネラルウォーターを買うだけでもケンカ腰になる。「何か用かとは何だ!水が欲しいって言ってるんだから早くよこせ!」的な展開にあの対応だと成らざるを得ない。下手に出るといつまでたっても水をゲット出来ないのである。それを外国人の多いクリニックでやるのは法外だし(勿論、店員ほどひどくはないにせよ)患者さんの気持ちになれば笑顔で対応するのは基本である。これくらいのことは日本人であれば言われなくても自然に分かる。日本はサービスの国だが、日本とロシアでは天と地ほどの差がある。

逆に、ロシア人の彼女らの立場になってみると仕事も生活もキツい、給料も少ない(現地スタッフはそんなにもらっていないことが判明)、訳のわからない日本人が来て腹立たしい(?)、と色々大変なのであろう。出来れば外国人のドクターと結婚してモスクワからとっととヨーロッパ(西欧)に移住したいというのが大方の本音のようだ。彼女たちも彼女らなりに大変なのだ。向こうにしてみれば、日本人がドイツのベルリンからわざわざモスクワまでやって来て仕事がしたいなんて気違い沙汰なのである。まあ、確かにそれはそうかもしれない。経験を積むためにわざわざモスクワまで来るなんて、ある意味馬鹿げているのかもしれない。選択出来る自由というのはそういうことだ。そして、彼女らにはある意味、「馬鹿馬鹿しいことを敢えてする」という自由がない。

a0087352_21224612.jpg


不規則な出勤時間と不慣れな仕事。そしてモスクヴィッチの自宅訪問の応酬。これらを全部こなすのは到底無理難題である。彼らは電話もよこさず、何時でも家のベルを鳴らす。これにはホトホト参ってしまった。参っているだけではなく、本気で頭に来る様になり、「頼むから電話くらい来る前にしてくれないか。」と言うことにした。その内、訪問客の足は途絶えたのだが、ベルリナーに比べ、モスクヴィッチには他人の生活を尊重するという姿勢が皆無である。自分が気の向いた時に友人を訪れる、というのは普通のことなのである。カルチャーと言ってもいいかもしれない。定職に就いている人間が周りに少なかったのも原因かもしれないが、実際に仕事を持って生活する、ということになると遊びに来ている時とは違い、そうそう彼らのペースに合わせてもいられなくなる。そのことをまず理解してもらうのが大変だった。そんな訳でてっきり二人暮らしをするんだ、と思い込んでいたカプチョーニにも「ひとりにしてくれ。」と言い渡す事になる。

今から思えば、何から何まで新しい事だらけで、マイペースを保つのが相当大変だったんだろうと思う。何と言っても、海外初就職だったわけで、しかも初の日本人採用で後は全て外国人という環境だった。

ところが、アメリカ人のクリニックマネージャーが移動になり、南アフリカから新しいクリニックマネージャーが来る事になったのである。

<その8へ続く>


応援ワンクリックお願いします↓
人気ブログランキングへ
[PR]
by zaichik49 | 2008-09-07 21:09 | モスクワ


ベルリン在住、ベルリナーによるモスクワ体験記も一段落。今後も気になるロシアや現在のベルリン生活の中で想うことをつらつら書いていこうと思います。


by zaichik49

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

2009年9月29日に長女を出産しました。タグの「妊娠」にて妊娠覚え書きをまとめてみましたので、また覗いて見てください。

チェブラーシカなロシア?

ブログのタイトル変更について


当ホームページ掲載の記事、写真等の無断掲載を禁止します。
©2007-2009 Mariko*
All Rights Reserved.


カテゴリ

全体
ロシア
モスクワ
ベルリン

アート
カルチャー
デザイン
日常
その他
未分類

タグ

以前の記事

2010年 10月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 05月
2010年 02月
more...

ブログパーツ

フォロー中のブログ

イスクラ
増山麗奈の革命鍋!
ベルリン中央駅
ベルリンで考える心地よい暮らし

ライフログ


チェブラーシカ


チャパーエフと空虚


ノスタルジア


ストラヴィンスキー:バレエ《春の祭典》/スクリャービン:交響曲第4番 作品54《法悦の詩》


ベルリン・天使の詩 デジタルニューマスター版


ナイト・オン・ザ・プラネット


Home-Made: Contemporary Russian Folk Artifacts


堕ちた天使―アザゼル


The Book of Illusions: A Novel


はてしない物語

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

海外生活
子育て

画像一覧