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いやはや、全く

8月末に今年3月の帰国について更新してから、既に早2ヶ月3ヶ月。

ブログの更新が滞ることこれまた甚だしい。

ベビの成長記録のはずが、まーったく更新していないので、仕方なくアナログな手段ではあるが、スケジュール帳に気付いた時にメモを取るようにしている。

日本から戻って以来、ハイハイ→ハイスピード・ハイハイ→つかまり立ち→立っち→伝い歩き→イスなどを押しながら歩く練習、たまに数歩歩く、とどんどん行動範囲を広げつつあある。
そう言えば、ここ最近は何かを押しながら歩くことが減り、自分ひとりでがに股ではあるがトコトコと歩くようになった。

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2010.05.20
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2010.06.22 ベルリンフィルのランチコンサート
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2010.09.11
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2010.10.22

近所のママさんとパリに、親戚やおばあちゃんとバルト海に、パパと3人でバルセロナにも行った。あー、思えば良い季節だった。そう、それは夏。

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2010.07.18 Paris
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2010.08.15 Ostsee
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2010.09.19 Barcelona

そしてとうとう9月初頭からキタの慣れ保育が始まり、9月末にはベビも1歳の誕生日を迎えた。
キタに行きだしてから、噂には聞いていたがあいにくずーっと体調が優れず、誕生日の翌日には脱水症状を起こす程の下痢と嘔吐に襲われ、家族全員がほぼ同時にダウン。その影響で10月からの半日職場復帰が2日遅れてしまった。

とにかく、キタが始まるまでのまったり平和な、育児に専念できた半年間は飛ぶように過ぎ去ってしまったわけである。

仕事が始まって何が大変かと言えば、やはり時間に追われることだろうか。何から何まで段取り、段取りでは疲れてしまうが、これをしないと物事がさっぱり進まない。そして昼寝ができない。キタでしっかり2時間ほど眠ってから、迎えの時間になるためベビはパワー全開、しかしこちらは4時間とはいえ久しぶりの仕事でクタクタときている。しかも相方は仕事の都合で週の半分は帰宅時間が20時半以降になってしまった。こうなると夕ご飯、お風呂、寝かしつけまでずーっとひとりでやることになる。ベビが寝付く頃にはこちらはフラフラ。そんなこんなで免疫力が落ちているせいか、ベビがキタでもらってくる風邪をことごとくもらってしまうし、一旦引くとこれまたなかなか治ってくれないのである。

そろそろおっぱい星人におっぱいとサヨナラしてもらう時期が来てるのかなぁ、とさえ思うようになった。
自分が弱っている時のおっぱいは結構辛い。

無理をすると共倒れになってしまうので、こういう時は頼っちゃおう、とベルリンに住む相方のお母さんにSOS。結局、週に2回来てくれることになった。朝は相方がベビをキタへ連れて行き、午後の迎えはおばあちゃんが1回、私が3回。ベビが1歳半になるまでは月曜日の午前中は相方が、午後はおばあちゃんが家で見る事して、負担を減らしてあげることにした。

とまあ、風邪なんて引いてられないのだが、もうかれこれ3週間程咳が治まらない。そして外はとうとう零下になってしまい、去年に続きドカ雪。ここまで書いてみて思ったのは、やはりキタ開始から体調がすっきりしないなぁ、ということである。

今から思えば超安産だったのが不思議なくらいボロボロ。
本当に出産、育児は体力勝負、産むなら若い方が良い、と言われるわけを骨身で感じる今日この頃である。


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by zaichik49 | 2010-10-24 04:06 | 日常

不況と騒がれる割には・・・?


うーん。どうも今年に入ってからバッタバタである。
去年の12月はロケがほとんど入って来なかったので、「来年は一体どうなるのかな?」と
会社の皆で話していたのが嘘のような忙しさ。

1月から5月にかけて入って来ているロケのネタをざっと挙げてみるとこんな具合:

ダボス会議と社会起業家
docomo play prime
コンセルトヘボウ、ハイティンク80歳記念コンサート生中継
ベルリンで活躍する日本人
模型
某元サッカー選手とのCM撮影
メンデルスゾーンとゲヴァントハウス
壁崩壊から20年
太陽光発電世界1のドイツの現状
紀行もの
壁崩壊後20年のベルリン
小澤征爾さんインタビュー

こうして見てみると、不況絡みで2本、クラシック関連で3本、壁崩壊20周年関連2本、その他と
いうことになろうか。

各局の予算削減が叫ばれている中、ベルリンの壁崩から20年というタイミングもあって、今年の秋頃にはベルリンをテーマにした番組が増えることで会社的には随分助かるのでは?と密かに思っている。

会社的には助かるんですが、忙しいです・涙

あー、イースター休暇が待ち遠しい今日この頃。
というか、春はいつ来るんですかね?
最近、ちょっと寒過ぎやしませんか、ドイツ在住の皆さん!

そう言えば、写真も最近あんまり撮ってないなぁ。

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by zaichik49 | 2009-03-25 04:28 | 日常

妊娠覚え書き2


3月11日、検診2回目。
2回目の検診では尿検査、血液検査(血液型、貧血、梅毒、風疹など)、体重測定、血圧と基本的な検査をしてもらい、その後は腹囲と子宮底長の測定、超音波検査。

10W5D、体長4センチ。
順調に育っているようだ。安心。

この日は、35歳以上で初産ということもあり、Ersttrimesterscreening(Frühfeindiagnostik)という妊娠初期に可能なダウンシンドロームや染色体異常の特徴がないかどうか診断する検査についての話を受ける。
これは超音波で後首部の厚みを測定するNT TESTと血液検査PAPP-A(Pregnancy Associated Plasma Protein A)及びHCG(Human Chorionic Gonadotropin)という二種類の血漿値を測定し、双方の検査結果から先天性異常の可能性を割り出す検査である。100%確実な結果は出ないが、この二つの検査で大体90%近い結果が出るんだそうだ。

産婦人科ではまず超音波検査の予約を専門医に14週目までに入れるよう指示される。
電話がなかなか繋がらないので、ホームページに行ってみると予約を取る際に必要な情報がまとめられていた。

1)希望する検査は何か?
2)妊娠何週目か?
3)どの産婦人科からの紹介か?
4)保険に加入しているか?
5)電話番号は?
6)ベルリンに住んでいるか、それとも郊外か?
7)何か特別なリスクがあるか?

かなり詳細なことを聞かれることが分かったので、メモを準備して再度電話を掛ける。なかなか繋がらなかったが、ようやく繋がり、用意してたメモを頼りに予約を入れる。ひとつ問題になったのは振込用紙(ドイツでは保険でカバーされる治療費について専用の振込用紙を持参する必要がある)に記入されていた「Ersttrimesterscreening」という検査名である。「あ、それでは保険対象にできませんので、再度産婦人科で「Frühfeindiagnostik」と記入し直したものをお持ち下さい。」

ちょっとこれには納得出来なかった。というのも、紹介されたのは産婦人科で、当然そのくらいのことは産婦人科が把握していると考えたからだ。「何だかおかしな話だなぁ。」と電話を切りながら首を傾げる。
血液検査について産婦人科に確認すると、なぜか「31日に超音波検査なのであれば、その日に血液検査に来て下さい。」と言う。これも前もって調べた検査の説明書きから言うと、少しおかしなタイミングである。「おかしいなぁ。」

その日、仕事が終わって自宅に帰ると、案の定産婦人科から血液検査についての連絡が入っていた。
「ドクターと確認したところ、31日では遅いので、血液検査は今週中に来て下さい。」
何でこうなるのかなー、とちょっと憤慨する。

この週は事務所の仕事も山積みでしかも人事のゴタゴタについて周囲が騒がしく、その上このはっきりしない対応にかなり辟易してしまう。
もう頼むよ〜。そんなこんなで振込用紙の記入については血液検査に行ったついでに解決することに。

会社に行く前に血液検査のため病院に寄る。記入の仕方を変えてもらうよう事情を話すと、なんと看護婦さんが「そんなはずはない!」と怒りだす始末。怒られてもこちらとしては仕方ないんだけどな・・・と呆れるしかない。何とか正しい(?)記入をしてもらいそれを持参することに。病院に依るんだろうが、どうもドイツの病院の対応というのは日本のそれとは天と地の差があるような気がしてならない。やれやれ、である。

これで、後は超音波検査のみ、と思いきや、また採血に行く必要がある、との連絡が後日入る。
どうやら今度は血液検査を行う過程(産婦人科外の機関)でミスがあったのだという。
こちらとしてみれば、もういい加減にしてくれ、という感じである。
仕方のないことなので、相方に話すとその日は産婦人科まで車で送ってくれた。感謝。

検査ひとつ取ってもなかなかスムーズに行かない。これはかなり不思議である。

検診3回目に続きます。

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by zaichik49 | 2009-03-23 00:39 | 日常

妊娠覚え書き1



今年の1月のロケはNHK「クローズアップ現代」の取材でハンブルクにあるwellcomeという社会起業家が始めた経験不足の新米ママを出産後の初期の段階からサポートするサービスを提供している団体を訪れた。
初ロケのテーマが「赤ちゃんと母親」に関する社会企業家だったというのも何だか不思議な偶然だった気がする。現場には生まれたばかりの赤ちゃんとお母さんがたくさんいた。

結局、その取材分は放送には至らなかったのだけれど、「こんな組織があるんだな。」とか「ドイツの母親に対する保護制度は整っているな。」と色々勉強になる取材だった。

そして1月末にはいつもとても楽しく仕事をさせてもらっているdさんとEPさん、ベルリンのデザイナーeboyとの某モバイル会社のWebサイト企画を担当することになった。いつものようにわいわい楽しく、eboyの事務所でミーティングをし、かなりの作業を現場で詰めて無事に話はまとまり、最終日にはdさんとフィルハーモニーで小澤征爾指揮、Lang Langのピアノの演奏を楽しみ、帰りに滞在ホテル近くにあるバーで遅くまで話し込んだ。
が、その時に初めて「あれ?体調が何かおかしいな。」ということに気が付いた。
その日はコンサート終了後にバーに行ったのだけれど、立ち飲みのカウンターで飲めない私はアップルサイダーをちびちび飲みながらアイスバインを食べるdさんとお話していた。なぜか途中から飲んでもいないのに立ち続けていられないほど疲れを感じてきた。そして、とうとう他所から空いていた椅子を持って来てそこに無理矢理座るという行為に至った。「もう立ち続けるのが限界。」という感じだった。

そこで、あーこれはますます怪しいな、と身体で感じたわけである。
来るはずの月のものが予定日を過ぎても来ない日が数日続いていたこともあり、とうとう来たか?という感じである。翌日、相方に検査薬を購入してもらい、試してみると結果は「+3」。妊娠3週間以上、と出た。
ほぼ間違いない。ところが産婦人科に行こうにも、その週は月から金までアテンドが入っていたし、おまけに日曜日には休暇で日本行きという素晴らしいタイミング。まずは日本に2週間滞在し、帰ってからすぐに病院に行ける様に予約を入れておくことに。

そのタイミングで休暇を取れたのも今から思い返してみると偶然である。
本来なら2月上旬に担当するはずだったベルリン・ウィーンロケがベルリンのみになり、その流れで他の同僚がそのロケを担当することになった。元々は彼女が2月上旬に休みを取るはずだったのが通らず、フライトの関係ですぐに返事がもらえると嬉しい、と私が打診した2月上旬あるいは3月下旬の休暇についてはなぜかすんなり通り、それなら2月にしよう、とフライトをすぐに手配していたのだった。

妊娠中に長時間フライトに耐えられるのか?日本滞在中に具合が悪くなったらどうやって帰るのか?という幾ばくかの不安はあったが、あれこれ心配しても仕方ないということで決行。出来るだけ楽な服装で何とか関空まで辿り着いた。家族にしてみれば去年の11月に帰国したばかりなのに、どうしてこんなに早いタイミングで二人で帰国するのか?と逆に何かあるんじゃないのかと疑っていたらしい・笑
「確定ではないけれど、多分妊娠していると思う。」と伝えると皆喜んでくれた。
二人目を産んだばかりの妹からは参考までに、と「はじめての妊娠・出産」という本や自分の通院していた産婦人科でもらったという妊娠の手引き書のようなものを貰う。「あんまり動き過ぎたらあかんで。無理も禁物。」と皆から散々心配される。東京に行ったり、温泉に行ったり、挙げ句の果てにはあるコンサートにまで招待されることになっていたからだけれど。

ただ、さすがに滞在2週目からいつものように動き回れない自分を感じ始める。まず、朝と夕方が辛い。
食欲が低下してきて、風邪気味のようなおかしな体調になってきた。ピークは琴平の温泉帰りの9日の神戸。
まさに、その日がコンサートだった・・・ 
移動が続いたのが良くなかったのか、コンサート中に熱が上がったようで泣く泣く途中で退席。

でも、優先順位は守らねば痛い目に合う。その時は自分の身体が最優先だった。

何とその日は大阪に帰る事もままならず、ホールからタクシーを拾って近くのホテルまで行ってもらい、ベッドに倒れ込んだ。高熱が出ていたんだと思う。何だか自分の思い通りにならない身体がとても悲しかったのを覚えている。

そしてその日からドイツに帰国する日までは、ほとんど寝たっきりだった。
無事に帰れれば、ともうそれだけである。
その心配も取り越し苦労で、何とか無事にベルリンに到着し、残りの休暇3日を消化する。
そして週明けの2月16日に初診を受けることになる。

産婦人科で状況を話すと、尿検査もなく、すぐに超音波断層検査をすることに。画面には丸い胎のうと魚のような形をした赤ちゃんが写っていた。妊娠しているという自覚はあったが、実際に目で見ると何だか不思議な気持ちになった。この日ですでに妊娠7週間と2日目(7W2D)だということが分かる。予定日は10月1日だそうだ。その他にはFolio Forte(葉酸/Folsäure、ヨード、ビタミンB12)という錠剤を飲む様に勧められる。

葉酸というのが聞き慣れない単語だったのと、日本語にしてもピンと来なかったので、ちょっと調べてみた。

■葉酸の説明
葉酸はビタミンB群の仲間で、主な働きは赤血球の形成・成熟ですが、その他にも生体の組織形成や細胞の発育機能正常化などにも欠かせない栄養素です。葉酸は最初にほうれん草より抽出されたことからこの名がつきました。

葉酸は腸内細菌により合成されるので欠乏することはあまりありません。しかし、深酒や喫煙は葉酸の働きを低下させ欠乏症の原因になります。

葉酸はタンパク質や核酸の合成に必要な成分で細胞分裂を活発にする働きがあります。葉酸はビタミンB12とともに赤血球のヘモグロビンを作るのに重要な役割を話しますので貧血を防ぐにはビタミンB12と一緒にとるのが効果的です。

葉酸は貧血だけではなく妊娠中にも必要なビタミンで、厚生労働省も妊娠中には摂取量を増やすように指導しています。

■葉酸の効果があると思われるもの

毛髪(抜け毛、薄毛、はげ) / 口内炎 / 貧血 / 動脈硬化 / 抗血栓 / 血行促進 / 

■葉酸が含まれる食品例

なつめ(棗) / いくら(イクラ) / にら(ニラ) / 大根の葉 / 大豆 / 卵黄 / モロヘイヤ / 菜の花 / アスパラガス / そらまめ(ソラマメ) / 牛レバー / ほうれん草(ほうれんそう) / とんぶり / ひまわりの種(ヒマワリの種) / 小豆(あずき) / 鮭の筋子 / ブロッコリー / たらの芽(たらのめ) / 納豆 / 小麦胚芽 / ビール酵母 / ぜんまい / マンゴー / 


http://kenko.it-lab.com/info.php/74/より

なるほど。ドイツでも割合手に入るのは卵黄、ほうれん草、ひまわりの種、ブロッコリー、ビール酵母?、マンゴーである。来週はブロッコリーのパスタでも作ってみよう。サラダにはひまわりの種を入れたり。

何はともあれ、検診の結果は異常なしでようやくホッとする。が、問題はその後だった。
検診を受けた翌日の晩になぜか突然調子が悪くなり高熱が出る。計ってみるとなんと39度近くあるではないか。明日は出勤であるが、これはもう会社に行ってる場合ではない。仕方なくその晩はふくらはぎに冷湿布のようなものをタオルでぐるぐる巻いてもらい、額にも冷やしたタオルを当てがい寝苦しい夜を過ごす。朝、熱を計ると有り難い事に37度近くまで下がっていたので、急遽近所の内科を訪れる。流感ではないが、ウイルス性の風邪でしょうということで、熱が39度以上に上がるようであればパラセタモールを飲む様に勧められる。ただし、基本的には飲まないに越した事がない、と言われたのはのは言うまでもない。そして「労働不可証明書」のようなものを3日分出してもらう。

さて、困ったのが会社への報告。先延ばしにしても仕方のないことなので、意を決して電話で体調が優れない事に加え、妊娠について簡潔に報告。さすがに社長も予期しなかったことだったらしく、電話先で思わず笑いが出たのがおかしかった。気分的にはこれで随分楽になる。そして、休暇明けの水曜日から金曜日まで結局自宅療養することとなった。
この頃が長時間フライトや時差も重なったためか、体調はかなり悪かったように思う。途中で同僚の何人かに妊娠について話す機会があったので報告すると、皆一様にかなり驚いていた。

週明けの月曜日、同僚のみんなと社長に妊娠報告及び今後について簡潔に相談。
基本的にロケには出ない事、これまでの事務所での業務に加え、経理を担当している会社に提出する書類の整理を引き受ける事になる。出産後についてはこの段階ではまだ話は出なかった。

これで解決、と思いきや私の妊娠が引き金となり、新しい日本人を採用する必要性が出たり、と会社の人事にも影響が出ることになった。

検診2回目に続きます。
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by zaichik49 | 2009-03-22 07:22 | 日常

去年の今頃


もう数年前になるけれど、日本の友人に「このサイト面白いよ〜。」とリンクを送ってもらったサイトが糸井重里さんによる「ほぼ日刊イトイ新聞」

仕事の合間、時間のある時にまさに「ほぼ毎日」除く習慣が出来つつありますが、本当に良く出来てるなぁ、と毎回感心させられる盛りだくさんな内容となっています。

読者投稿形のページも多く、普段は全く参加したことがなかったのですが、ほぼ日プロデュースの手帳紹介コンテンツの中に「みんなの、なんでもない日おめでとう。」というものがあり、クリスマス休暇中に去年の今頃撮った写真を見つけ、「1月の写真」として送っておきました。

今日、ふとそのことを思い出し、
そのサイト
に飛んでみると、その写真が掲載されていたのでした。

去年の今頃。ベルリンフィルで小澤征爾さん指揮によるチャイコフスキーの「悲愴」を収録する仕事が入ったのですが、それがほぼ同時期に仕事を始めた日本人カメラマン同僚との最後の仕事となったのでした。彼は今、東京でカメラマンとして頑張っています。

こんな風に毎日、短くても良いから気に留まった風景を写真として残しておく、というのも良いものですね。実際は「毎日」というのはなかなか難しいものなのですが、「ほぼ毎日=ほぼ日」なら出来るのかな?

それにしても、ネーミングも憎いですね、「ほぼ日刊イトイ新聞」!
コピーライターの成せる技でしょうか。何はともあれお手本にしたいことがいっぱいのサイトです。

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by zaichik49 | 2009-01-24 07:58 | 日常

モスクワで就職!? その10


そしてとうとう、南アフリカから白人のクリニックマネージャーがやって来た。最悪なことに、一目見た瞬間に生理的に受け付けないタイプであることが判明したのである。

(あっちゃー、これは前途多難だな・・・)

案の定、彼女は受付をちらっと見るなり、こう言い放ったではないか。

「あら、どうして受付に外国人がいるのかしら?」

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しかし、生活がかかっているロシア人は自分を守ることに徹するので、とにかくその威圧的な態度の、正直いけ好かないマネージャーに諂うばかり。
そう言えば、一度何かの場面で彼女につかつか歩み寄り、正面切って「先ほどのご意見には賛成出来ないのですが。」みたいなことを言い放ったことがあるのだが、その瞬間周囲にいたロシア人看護婦らの顔面は引きつり、その場が凍り付いたような気がしたものだ。そして彼女が去った後に口を揃えて彼らはこう言うではないか。「何であんなこと言っちゃったの?」と。ある意味、主張しないとやって行けないドイツ流になっているのである。

マネージャーが変わっただけで、クリニックはこんな風にいとも簡単に権威主義的な空間と化してしまった。ここで語弊を恐れずに敢えて言えば、さすが南アフリカ、しかも白人と言えばアパルトヘイトが法制化されていたような国だからなのか、彼女が目の敵にしたのは、まず受付にいる外国人だった。そしてそれを庇おうと働きかけたアメリカ人のドクターにもしわ寄せが。

こちらとしてみれば、ロシア語能力は不十分だからという理由で受付業務は断ったにもかかわらず日本人患者のためにも是非採用したいというので、ベルリンからわざわざモスクワに引っ越しまでしたという経緯がある。その上、慣れない医学用語と四面楚歌な職場で戦う毎日だったというのに、3ヶ月も経たないうちにクリニックマネージャーが別の人間になったということだけで、クリニック自体の方針が180度変わるという事態に直面してしまったというわけだ。タイミングが悪いとはまさにこういうことを言うのだ。

さすがにこの状況を踏まえると、彼女のやり方に笑顔で対処できるわけがない。

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結果、若さ故(?)の宣戦布告ということになる。

「ロシア語の不十分さは了解の上で半年の猶予を貰い、受付業務にも配置されたのです。それを後で来た貴方に文句を言われても納得できません。それに貴方だってロシア語が全く話せないじゃありませんか。受付に外国人など絶対に必要ないとお考えであれば仕方ありません、そこまでして残りたいとも思いません。ただし、ある日本人患者さんのために残りの数ヶ月は通わせて貰うのが条件ですが。それだけは何と言われおうと譲れません。クリニックのマネージャーならば、患者さんのことを第一に考えて頂けますか。」と。

アメリカ人のドクターふたりにマネージャーは私のことが気に入らないらしい、と伝えると、「何てことだ!首にする何てあり得ない事だよ!!エリアマネージャーに直談判してみるよ。」と熱くなる年配ドクター。そして、「そんなことになっちゃったの?ベルリンに帰る事にしたの??モスクワに何とか残れないのかな?」と珍しく顔色を変えて心配そうなNASAマン。

それだけで、もう十分だった。
もうやれるだけのことはやったのだ。
何とでもなれ、だ。

クリニックを訪れる日本人の中には大使館職員の方もいて、「もしまだモスクワで働きたいということであれば、一度いらして下さい」と言って頂いた。丁度、ひとつ席が空くというのである。そして、面接の際にその方は仕事内容の説明をとてもストレートな言葉で伝えてくれたのだ。「でも、ロシア語は全く必要ないですし、業務内容も事務用品の注文など備品の補充などですから、どちらかと言えば退屈かもしれません。私は、ベルリンに戻られた方が色んな意味でも本当に良いのではないかと思いますよ。」

その一言がきっかけで何かが自分の中ではっきりした。

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「帰ろう、もうベルリンに帰ろう。」

心の底からそう思った。思えば境界線上でぐらぐらしている時期が長過ぎたのだ。ロシアとドイツの。モスクワとベルリンの。

そして何とそのタイミングで、モスクヴィッチは「二人で生活がしたいんだ、ずっと。」と言ったのだ。それを聞いた瞬間に「いやだ、もう十分だ。ベルリンに帰る。」とモスクワの路上で叫んでいた自分が信じられなかった。

何かがそこで壊れてしまったのだ。多分。ずーっと努力して来たのだ。ロシアを理解しようと。ロシア人を理解しようと。ロシア語を理解しようと。でも、最後の最後でもうその力が残っていなかった。空っぽだったのだ。ある意味、どこかで自分を守ろうとしたんだとも思う。野性の感のようなもの。ここに残っちゃだめだ。帰らなくちゃ。

ベルリンに帰る。

そうして、このたかだか半年程度のモスクワでの就職がきっかけで、モスクワの全てにあっと言う間にピリオドが打たれたのだ。短かったけれど、まるで永遠のように思える時間だった。

いつもどこかで、きっかけを待っていたんだろうとも思う。

<まだ続きます>

*写真提供: 325


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by zaichik49 | 2008-09-16 05:35 | モスクワ

モスクワで就職!? その9


外国で外国人によるカウンセリングを受ける難しさについて。

通訳をしていて何が難しいかと言えば、カウンセリングを受ける側のバックグラウンド(日本の文化や家庭環境など)をカウンセラーが把握出来る様に説明をする必要が出てくる場合だ。勿論、基本的な感情は万国共通なのだが、文化的背景というところまで話が及ぶと単に訳しているだけでは間に合わなくなるのである。
後は、それぞれの言語の持つニュアンスの違いだろうか。

今ドイツに住んでいて思うのは、カウンセラーや精神科医という全くの第三者に抵抗なく自分の問題を話す、という精神分析の基本が一般的に広く浸透しているということだ。日本では恐らくまだ「最近、カウンセリングを受けているんだけれど」とそれほどオープンには話されていないんじゃないかと思う。
逆にドイツではこのテーマはかなり頻繁に日常会話に出てくる話題のひとつと言っていいくらいだ。「一度、行ってみて話をしたらどう?」と勧められたこともこれまでに何度かある。自分を分析してもらい、自己を知る行為をドイツ人はとても大切にしているようである。理性的なドイツ人には自己分析の方法として精神分析がぴったりなのかもしれない。逆に言うと、ロシア人の場合は友人を巻き込んで自分の悩みを延々と述べる感情的なタイプの人間が多いので、余り西欧的な精神分析やカウンセリングが浸透しているようには余り思えないのだが、いかがだろう?

それはそうと、モスクワのクリニックでアメリカ人のカウンセラーとカウンセリングを受けていた日本人の間に入っての通訳、というのは自分に取って毎回とても十分とは言い難い結果に終わっていた。ただ、その時にカウンセリングを受けていた人の助けに少しでもなっていたのであれば、それがせめてもの救いである。

不思議なことに、ロシアのクリニックで働くようになってから、周りにアメリカ人の同僚(知人)が増えたというのもある意味、皮肉な話ではある。ベルリンにはアメリカ人の知人など全くいないのだから。前にも述べたように、モスクワの方がベルリンよりも都会じみているし、ある意味国際的でビジネスも盛んなのである。

もうひとりのアメリカ人の同僚であったNASAマンは、NASAのメンバーのみが住んでいるセキュリティのしっかりとした専用ホテルに住んでいた。そこで、何度か食事に招待される機会があったのだが、そこで同僚の宇宙飛行士だという人に写真を何枚か見せてもらったことがある。なぜか、宇宙の話というよりも他愛もない話をしていたような気がするが、もっと不思議なことに見せてもらった写真の中でも特に、ぬいぐるみのような物体が宇宙船の中にたくさんぷかぷか浮いていたのを「何だこれは?」と思ったことが一番印象に残っている。

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モスクワではそんな風にして、ベルリンではなかなか出会えないような人たちに実は出会っていたような気もするのだ。

ただ、一番強く感じた事は、NASAのメンバーのモスクワとモスクヴィッチのモスクワは交差することなど絶対にないし、別の国かと思うほどその生活が異なるということだった。どちらが良いとか悪いとかではなく、ただただ信じられないほど違うのである。その二つのモスクワを眺めていると、自分がどちらにも行けず境界線の上でゆらゆらバランスを取っているような妙な気分にさせられた。

「一体、どこに行けばいいんだ?」

そんな自分をもどかしく思っていたが、とうとうクリニックのマネージャーが代わることになった。それも南アフリカから来た白人である。

彼女は予想通り、初の外国人の受付スタッフである日本人に攻撃を開始することになる。

<その10へ続く>


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by zaichik49 | 2008-09-15 22:26 | モスクワ

モスクワで就職!? その8


前回はクリニックマネージャーがクリニック初の日本人の採用を決めたアメリカ人から、南アフリカから来た新しいマネージャーに代わる、というところで締めくくったが、ここで少し話題を変えることにしようと思う。


トベルスカヤの新しい住居にモスクヴィッチが毎日のように押し掛けてくることも少なくなり、クリニックでの電話対応や業務にも少し慣れてきた頃の生活振りについて。

クリニックにいたアメリカ人ドクターのひとりは例の初日に声をかけてくれたNASAマン。もうひとりはそれよりも年配のドクターだった。年配のドクターはロシア語に興味があり、ロシア文学や演劇に通じた人だった。彼に色々教えてもらいながら勤務後に劇場に出かける事が多くなった。

さすがにロシア語で展開される劇の内容を詳細に至るまで把握するのは無理だが、正直これは、今のドイツ語レベルでドイツの現代劇を簡単に理解出来るかと言えば、そうでもないのでロシア語で意味が取れないのはある意味、致し方ない。

言葉の問題はさておき、まずモスクワの演劇界のレベルの高さには舌を巻いた。とにかく役者に味があるのである。言葉が分からなくても十分見応えがあり、演出も捻りの利いた辛口なものが多い。ドイツのシアターは奇抜さばかりが全面に押し出され、ヘンテコリンなものが増えているためか、がっかりして帰ることが多いのだがモスクワのそれは違った。

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タガンカ劇場(タガンカ・モスクワ・ドラマ・コメディ劇場)
やアパートから徒歩ですぐのところにあった
マヤコフスキー劇場には頻繁に足を運んだ。

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マヤコフスキー劇場のあるボリショイ・ニキーツカヤ通りにはモスクワ国立音楽院大ホールがあり、そこでクラシックコンサートを聴く機会も増えた。それまでは、ベルリンに住んでいながらベルリンフィルに足を運んだことさえなかったのだが、その大ホールで聴いたラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が余りにも衝撃的だったことから、クラシック音楽に対する姿勢が180度変わってしまった。コンサートホールでオーケストラを聴いて、自然に涙が出たという経験をしたのはモスクワでのそれが初めてのことだった。ロシアの音楽はロシア人の演奏で聴かないとだめなんだな、なんていうことをその時どこかで思っていたような気がする。

あのくらい衝撃的だったコンサートは恐らく、何年か後に仕事で白夜祭のペテルブルクへ撮影に行った時に聴いたゲルギーエフの指揮によるプロコフィエフだろうか。その時は彼の綴りだす音よりも、インタビューの際に会った本人から溢れ出すオーラとエネルギーにたじたじになった記憶の方が強烈なのだが。

何はともあれ、ロシア芸術の持つ「うねり」には強く惹かれる。
モスクワ滞在中にこうした芸術に出会えたことは思えば貴重な体験だった。

さて、そろそろ仕事の話に戻ろう。

相変わらず、「心房細動、不整脈、メバロチン、脳血栓、メチゾール、インドロール、偏頭痛、鼻水、悪寒」などの言葉に囲まれる毎日だったが、自分の中で特に印象に残っていることがある。それは、カウンセリングに通訳として立ち会ったことだ。初めはそんなプライベートな空間に通訳としてとはいえ、同席していいものかと驚いたのだが本人了承の上ということなので引き受けることにした。

ロシア人同僚とのギスギスしがちな受付業務と比べると、そこはクリニック内のオアシスのようだった。アメリカ人のカウンセラーも含め3人だけの安全な空間、とでも言おうか。カウンセラーのアメリカ人はカウンセリングの途中で邪魔が入るのを当然の如くとても嫌ったので、1時間ほどの時間はある意味、完全に私たちだけの時間だった。不思議なもので、カウンセリングに立ち会うことでかなり助かる部分も多かった。

ただ、そこで外国で外国人のカウンセリングを受ける難しさというものも経験した。
通訳の難しさも含めて。

*写真はそれぞれの劇場HPから。

<その9に続く>


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by zaichik49 | 2008-09-13 22:09 | モスクワ

モスクワで就職!? その7


こんなにも1日が長いなんて・・・
しかも明日は8時出勤。
出勤時間は同僚たちと相談して割り振るのだが、10時半から19時までの時もあれば、9時から16時半だったり、14時半から21時までという日もあった。
ただし、時間計算なので残業代もしっかり出る仕組みではある。

ロシアには銀行口座を持ちたくないので、基本的にドイツの銀行に振り込んでもらい、後はルーブル立てで手渡ししてもらうようにすることにした。
そんなわけで1ヶ月に1度は3から4連休にして、ベルリンに戻っていた。
モスクワで仕事をして生活する、ということは自分が想像していた以上に大変で、たまにベルリンに帰らないと息が詰まるというか、色んな意味でバランスが取れなかったのだ。

案の定、水が合わなかったのかストレスのせいなのか、身体も付いて行かず初めの1週間で何と5キロも痩せてしまった。滅多な事では体重には響かないタイプなので、これはマズいんじゃないかと。ただ、何が安心かというとそんな時でもすぐに診てもらって薬を出してもらえることだ。
これがないとモスクワで働く気にはなれなかったかもしれない。ただ、受付にいる人間が病気では意味がないので、風邪もオチオチ引いていられないのは事実である。
しかし普通の人間であれば、慣れないモスクワの冬の寒さに耐えられるはずもなく、西側のドクターもよく病欠届けを出して休んでいるようで、ある意味ホッとさせられた。寒さが尋常ではないのだ。

毎日、朝から晩まで緊張の連続、そして自宅では医学用語という不慣れな言葉との格闘を続けていたが、唯一自分の役割というか受付にいる意味は、日本人の患者さんたちがクリニックに来る時だったのではないかと思う。

「こんにちは!」

と日本語で挨拶すると、大抵の日本人は一瞬「あれ?」という顔をし、次の瞬間にはぱーっと笑みを浮かべてこちらに挨拶を返してくれた。「日本人の方ですか?」と嬉しそうに色々話をしてくれる患者さんもいた。モスクワの支社に赴任している人、特派員、大使館員、留学生などが主な患者さんだったが、やはり身体の弱っている時は精神的にも弱くなるし、モスクワで生活している日本人にとっては、病院に来た時に無愛想なロシア人の受付よりも、日本語の出来る日本人がいる方が誰だって嬉しいし安心するのである。特に冬は寒さから来る風邪と道が滑るのとで骨折の患者さんが多かった。

アメリカ人のドクター(内科医及び内分泌内科医)が二人いたのだが、彼らが口を揃えて言ったことが、これ。「ロシア人の女性は受付でにこっともしない。あれはどうにも理解できないよ。それに比べて君の笑顔は最高だね!」

確かにロシア人というのは、お店の店員ひとりとっても「あんた私に何か用?」くらいの勢いで無愛想である。ミネラルウォーターを買うだけでもケンカ腰になる。「何か用かとは何だ!水が欲しいって言ってるんだから早くよこせ!」的な展開にあの対応だと成らざるを得ない。下手に出るといつまでたっても水をゲット出来ないのである。それを外国人の多いクリニックでやるのは法外だし(勿論、店員ほどひどくはないにせよ)患者さんの気持ちになれば笑顔で対応するのは基本である。これくらいのことは日本人であれば言われなくても自然に分かる。日本はサービスの国だが、日本とロシアでは天と地ほどの差がある。

逆に、ロシア人の彼女らの立場になってみると仕事も生活もキツい、給料も少ない(現地スタッフはそんなにもらっていないことが判明)、訳のわからない日本人が来て腹立たしい(?)、と色々大変なのであろう。出来れば外国人のドクターと結婚してモスクワからとっととヨーロッパ(西欧)に移住したいというのが大方の本音のようだ。彼女たちも彼女らなりに大変なのだ。向こうにしてみれば、日本人がドイツのベルリンからわざわざモスクワまでやって来て仕事がしたいなんて気違い沙汰なのである。まあ、確かにそれはそうかもしれない。経験を積むためにわざわざモスクワまで来るなんて、ある意味馬鹿げているのかもしれない。選択出来る自由というのはそういうことだ。そして、彼女らにはある意味、「馬鹿馬鹿しいことを敢えてする」という自由がない。

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不規則な出勤時間と不慣れな仕事。そしてモスクヴィッチの自宅訪問の応酬。これらを全部こなすのは到底無理難題である。彼らは電話もよこさず、何時でも家のベルを鳴らす。これにはホトホト参ってしまった。参っているだけではなく、本気で頭に来る様になり、「頼むから電話くらい来る前にしてくれないか。」と言うことにした。その内、訪問客の足は途絶えたのだが、ベルリナーに比べ、モスクヴィッチには他人の生活を尊重するという姿勢が皆無である。自分が気の向いた時に友人を訪れる、というのは普通のことなのである。カルチャーと言ってもいいかもしれない。定職に就いている人間が周りに少なかったのも原因かもしれないが、実際に仕事を持って生活する、ということになると遊びに来ている時とは違い、そうそう彼らのペースに合わせてもいられなくなる。そのことをまず理解してもらうのが大変だった。そんな訳でてっきり二人暮らしをするんだ、と思い込んでいたカプチョーニにも「ひとりにしてくれ。」と言い渡す事になる。

今から思えば、何から何まで新しい事だらけで、マイペースを保つのが相当大変だったんだろうと思う。何と言っても、海外初就職だったわけで、しかも初の日本人採用で後は全て外国人という環境だった。

ところが、アメリカ人のクリニックマネージャーが移動になり、南アフリカから新しいクリニックマネージャーが来る事になったのである。

<その8へ続く>


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by zaichik49 | 2008-09-07 21:09 | モスクワ

モスクワで就職!? その6


そして、とうとう初日を迎えてしまった。
外は余りにも寒いので、出来るだけ着込んで出発。クリニックまでの道のりだが、トベルスカヤ通りを少し北上するとПУШКИНСКАЯ/プシュキンスカヤというメトロの駅がある。まずそこから紫色のラインで二駅目のКИТАЙ-ГОРОД/キタイ・ゴーラッドでオレンジ色のラインに乗り換え、そこから三駅目のПРОСПЕКТ МИРА/プロスペクト・ミラで下車。(こちらをご参照のこと)地下鉄に乗っている時間はせいぜい15分くらいか。ただ、モスクワのメトロは途方もなく長くスピードの速いエレベーターで地下深くまでだだーっと降り、そこからさらに乗り換え駅に辿り着くために、地下道のようなところを延々と歩かなければならないので、そちらに時間を取られがちである。また、混雑具合は日本に近いものがあり、ベルリンから来たばかりだとまず、その人の多さに疲れてしまう。地下鉄の本数も多く、2分間隔くらいで電車が次々とホームに滑り込んでくる。電車が到着するまでの時間も秒刻みで電光表示板でちゃんと出ている。

ベルリンに比べるとモスクワの方が遥かに都会じみているのだ。

このモスクワのメトロだが、地下の駅構内はこれまた惚れ惚れするくらい立派で、駅によってはまるで美術館並みの美しさだ。ただ、通勤となるとそれを楽しむ余裕すらなく、時間に遅れないようただただ目的地に向かうのみである。

さて、無事にПРОСПЕКТ МИРА/プロスペクト・ミラに到着。ここからは少し歩かなければならないのだが、これがまた一苦労なのだ。冬のモスクワは道路が凍結するが、トベルスカヤ並みの目抜き通りでないと、凍結防止剤などを散布してくれない。ベルリンであれば、すぐにそういった処置が広範囲で効率良く行われるが、モスクワではそうはいかない。雪が積もれば積もりっぱなし、道路が凍れば凍りっぱなしというわけだ。仕事開始の時間には十分間に合うように家を出たつもりが、余りにも路上がツルツル滑るため焦れば焦るほど思う様に足が進まない。よくよく見ていると、派手に転んでいる地元民もいるようだから、危ないことこの上なしである。

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この最後の徒歩の部分でくたくたになって、ようやくクリニックの入り口まで辿り着く。まずは、入り口でコントロールがあり、ここで働いているというクリニックが発行する証明書がないと通してもらえない仕組みだ。病院を訪れる患者もビジターリストに氏名が記載されていない場合は、受付と確認を取り、許可が下りて初めて建物の中に入れるという仕組みになっている。こんなところからも治安の悪さが伺える。

今日は初日なので、証明書なしで受付に連絡し、ようやくクリニックに足を踏み入れることができた。病院にしてはずいぶん薄暗い正面入り口を入り、エレベーターで上へ。深呼吸をし、覚悟を決めてクリニックの中に足を踏み入れる。

「ズドラストヴィーチェ。ハロー。」

このクリニック、受付にいるのはロシア人女性ばかりだが、ドクターはロシア人は勿論のこと、フランス人、アメリカ人、インド人、カナダ人、イギリス人と国籍は様々なようだ。ドイツ人がいないのが残念だ。面接に立ち会ったアメリカ人のクリニックマネージャーに挨拶をし、受付のロシア人たちにも紹介され、防寒用の服を着替えてから受付に入る。

が、しかし。一日目はあくまでもオリエンテーションだろうと思いきや、特に詳しく教えてくれる様子がないのである。どうやら受付チームからは、余り歓迎されてはいないらしい。まあ、そこは開き直って自分から色々聞くしか手立てはなさそうである。それでも、ひとり日本語の上手なロシア人女性がいるので、彼女から情報を引き出すのが良さそうだと思ったのだが、「あなたはロシア語がどのくらい出来ますか?ああ、そうなんですか。それは大変になるでしょうね。」とまあ、最初からこんな具合である。

そしてさらに驚いたのは、彼女たちが平気でふいっと、どこかへ行ってしまうことだった。要するに受け付けに一人で放置され、電話が鳴り出すという恐ろしい状態に何度かなってしまったのだ。受付にいる以上、鳴っている電話を放置するわけにはいかないので止む無く電話に出ると、これまた受話器の向こう側ではロシア語のオンパレードがものすごい勢いで展開されており、こちらは初日なので全くのお手上げ状態。分からないものに対してどう処置するべきか。「XXクリニックの某です。少々お待ち下さい。今、お繋ぎ致します。」あるいは、「予約でしょうか?いつがよろしですか?」云々。初日なので、この程度のことしかまだ言えないし、油断していると「XX please.」といきなり流暢な英語使いが電話の向こうに登場したりもする。何度も言うが、初日なのでクリニックやアラームセンター内の誰がどこにいるのかなど、ほとんど把握出来ていないので、電話をエクステンションで繋ぐだけでも冷や汗もの。貰ったリストには30ほどのエクステンション番号が羅列されているが、そこから該当する人物を探すだけでも大変なのだ。初日なんですよ!!

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とまあ、予想以上に非協力的なロシア人同僚たちには呆れ返ったが、呆れ返る暇も無く何とかお昼の休憩時間まで漕ぎ着け、休憩室でホーッと一息(ため息)ついていたところ・・・
アメリカ人らしきドクターがふらっと入ってきてこう言うではないか。

「(ハーイ!ハウユードゥーイン?みたいなことがあり、、、)あのさ、さっきから思ってたんだけど、君が新しく入った日本人かい?何でまたここで働くことになったの?」

全うな質問であるが、いささか不躾でもある。

「(サンクス、ソーソーみたいな返事をしつつ、)そうです。実はベルリンに住んでいたんですが、偶然、モスクワ滞在中に面接に来る機会があって。働かないかと言われたので、じゃあそうしようかと。」

「えっ!ベルリンに住んでたんだ?何やってたの?学生??それにしても変わってるなぁ。あ、失礼。僕はモスクワの郊外にあるNASAで勤務してる某だけど、ここには週に2、3回のペースで入ってるんだ。」

「あ、そうなんですか。よろしくお願いします。」

初日だし、慣れないロシア語での電話対応で既に神経をすり減らしていたので、そのドクターの言う事など頭にほとんど入ってこなかったのだ。第一印象が重要なのに、愛想などとはかけ離れた感じである。とにかく、彼は多少なりとも興味を持ってくれたようだった。受付が戦場と化しそうなので、味方になってくれそうな人がいるに越した事はないのだ。

それにしても、どうなることやら。かなり先が思いやられる幕開けである。


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by zaichik49 | 2008-08-26 05:52 | モスクワ


ベルリン在住、ベルリナーによるモスクワ体験記も一段落。今後も気になるロシアや現在のベルリン生活の中で想うことをつらつら書いていこうと思います。


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2009年9月29日に長女を出産しました。タグの「妊娠」にて妊娠覚え書きをまとめてみましたので、また覗いて見てください。

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