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跡地、その後


昨日は素晴らしい秋晴れの土曜日。
壁崩壊記念式典が9日に迫る中、街は観光客と11月の太陽を求めて外に出る人々で溢れていた。

来週の日曜日には帰ってしまう母が大聖堂を見たいというので3人+1人で散歩に出かける。
前の晩、おちびさんがずーっと寝静まらなかったため少々フラフラしながらの散歩となるが、
晴れる日がほとんどない11月、こんな天気の良い日は外に出ずにはいられない。

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風はかなり冷たかったが、日溜まりの中でおっぱいをあげる。
さ、寒い。

ベルリン大聖堂の正面に出ると、先日テレビ塔の上からも気になっていた共和国宮殿跡を確かめたくなった。

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建物は跡形もなく消え失せ、だだっ広い空き地になっていた。
写真では分かり辛いかもしれないが、テレビ塔の上から見ると建物があった場所に♡のマークが描かれていた。

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芝生を囲む様に壁が残されているが、これが唯一の名残りなのかもしれない。

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またベルリンの風景が変わった。

この跡地、昔はベルリン宮殿が立っていた場所でもあり、2010年の秋から復元作業に入る予定だというが、
掘り起こされた地盤から昔の教会跡が出て来たようだ。

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こちらも街の一等地での大規模なプロジェクトとなるが、資金繰りや景観問題など色々な議論を呼んでいる。街の印象を大きく変えることになるので慎重に進めて欲しいところだ。

寝不足のためカフェで休憩したくなったところで、何やら共和国宮殿を彷彿とさせられる外観の簡易プレハブのような建物が目に入った。

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間に合わせの建て方にしては、なかなか感じの良いカフェである。
早速、空いていたソファに身を沈めながら紅茶とキャロットケーキをいただく。
良く見ると、ギャラリーが併設されているようだ。

展示スペースを通り過ぎて、正面に回ると、そこがテンポラリーギャラリーであることが判明。
ベルリン特有の「一時的」なギャラリーに併設されたカフェだったわけだ。
ここは入場料も無料なのでお薦めしたい。

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残念ながらゆっくり作品を鑑賞する気力はなかったが、天井も高く見応えのする展示スペースだったように思う。外壁の共和国宮殿も「エコー」というタイトルの付いた作品だった。

ベルリンはこんな風にいつも何か新しい発見があるところが魅力なのかもしれない。

今日こそ、少しでもよく眠れますように。

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by zaichik49 | 2009-11-08 21:42 | ベルリン

連邦議会議事堂


母とのベルリン観光。今日はドイツ連邦議会議事堂(Deutscher Bundestag)へ。

ナチス時代の暗い歴史を持つドイツ。ボンからベルリンへの首都移転が決まった際に、「開かれた議会」を象徴するためガラス張りのドームが以前のライヒスターク(帝国議会)の屋根として設計されることになったことは記憶に新しい。ドーム部分の設計はアメリカ人の建築家ノーマン・フォースターによるものである。

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ドームが出来る前の議事堂(1995年)

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現在の議事堂

このドーム部分は観光客が訪れられるようになっており、運良く真下にある議事堂で議会が行われていれば、その様子を見下ろせる設計になっているのがユニークだ。

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ドームからは新しく生まれ変わったベルリンの街が見渡せる。
ブランデンブルク門の方向を見てみると、門の奥に最近出来たアメリカ大使館と、その奥には欧州で犠牲になったユダヤ人のための慰霊碑がある。右手にはソニーセンターの白い屋根のあるポツダム広場が。

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母の記念撮影。ドイツ国旗の下には2006年に完成した中央駅が見える。

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ドーム内にあるスロープを上っていくと、真上にぽっかりと穴のあいた屋上に着く。休憩出来るスペースがあり、そこで寝転がって上を見るとこんな風に空が見える。

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そこからまた反対側のスロープを下り、エレベーターで西玄関ホールに出ると、高さ30mの壁にゲルハルト・リヒターの黒-赤-金色から成る21メートルにも及ぶ大きな作品が展示されている。色は裏側の大きなガラス板まで及んでいて、それは意図的にドイツ国旗を思わせる。しかし、長方形でガラスフロアに映し出すそれは、国旗の模写ではなく独立した色彩芸術作品であることを強調。色の選択、構成を通して芸術家が見る人を困惑させる「知覚の落とし穴」によって作成されている。

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写真にはないが、ジグマー・ポルケのフォーム、内容ともリヒターの作品と対照をなす五つの作品は西側正面玄関の建物内の壁にリヒターの作品と向き合うような形で展示されている。

こんな風に議事堂内部に現代アートのコレクションが多数あるというのも面白い。
興味のある人はガイドツアーがあるので参加してみると良いだろう。

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by zaichik49 | 2009-09-16 02:56 | ベルリン

1995年と2009年 〜その1〜


今、母親が12年振りにベルリンに来ています。
当時と比べるとベルリンも随分、様変わりしました。

例えばこんな風に。

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1995年のブランデンブルク門
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2009年のブランデンブルク門

写真は母が初めてベルリンに来た95年のもの。2回目の渡独が97年でした。
母親は一言こう言いました。
「変に垢抜けてベルリンらしくなくなった気がする。建物が建ち過ぎてて昔の方が良かったわー。」

確かに当時はブランデンブルク門の左右にはまだ何にも建設されておらず、門の下を車が走っていました。
ツーリストの数も少なく、何となくひっそりとした雰囲気があります。

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1995年
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2009年

ブランデンブルク門そのものも、お化粧直しされて白くなっているのが分かります。
つい最近にはU55番線の「ブランデンブルク門」駅も開通したばかりです。

当時は性能の良いカメラも持っておらず、写真も熱心に撮っていなかったようなので余り比較出来る写真が残っていないのですが、こうして数枚の写真を比べて見るだけでもどれだけベルリンが変化してきたかということに気付かされます。

こちらはアレクサンダー広場のデパートKaufhof。

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1995年
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2009年

東独時代のデザインが一新されました。今は、どこにでもあるようなシンプルなデパートに。昔のデザインもユニークだったので嫌いではありませんでしたが、周りの建物は灰色でかなり暗い印象を与えていた様に思います。

やはりこの10年で街はかなり近代的になり、その表情も明るくなりました。
今年は壁崩壊20周年を迎えます。
これからもベルリンは変化を遂げる事でしょう。

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by zaichik49 | 2009-09-02 03:09 | ベルリン

「長い嘆き」と呼ばれる陸橋


ここのところ、まとまった時間が出来たのでようやく自宅の机周りやロケ関連の書類、そして写真の整理をしていたのだが、その際に何枚か気になる写真が出て来た。

例えばこちら。

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初めて見た時は「どうしてこんなに長い陸橋がこんなところに?」とかなり不思議に思ったものである。
実はこの陸橋、SバーンのStorkower Strasseという駅のホームとその出入り口を繋いでいたものなのだ。それにしても延々と長く、先が見えない。この駅が仮に最寄りの駅だとしたら、帰りが遅くなった時はどうするんだろう?と考えざるを得ないような寂れ方である。

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写真を撮った当時、橋の左右はだだっ広い空き地になっていたが、ここには昔、屠殺場があったらしい。Storkower Strasseという駅名は1970年半ばまではZentralviehhof(中央家畜収容場)という名前だった。そのZentralvieh- und Schlachthof(中央家畜収容場及び屠殺場)がこの場所に作られたのが1881年のことだ。

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©Maximilian Dörrbecker

なぜこのような長い陸橋が作られたのかというと、歩行者が近くの住宅地(見取り図の下方にあるEldenaer Strasse沿い)に辿り着くために危険でないとは言えない屠殺場を横切る必要があったためだ。陸橋から屠殺場が見えない様に外が見えないガラスが取り付けられた。「都心に住む未成年者に良くない影響を与えかねないため。」というのが1936年当時の架橋省のコメントである。この陸橋、1977年には最長505mにまで延長され、ヨーロッパ最長の陸橋になったのだそうだ。

東独時代にもここは精肉工場として重要な役割を担っていたようだ。
壁崩壊後には私有化されたが、1991年には閉鎖。数年間、工業休閑地として放置されていた。
2000年夏のオリンピック開催の際にはメディア村として蘇らせる計画もあったが、シドニーが開催権利を勝ち取ったため、計画は実現されなかった。計画の一環で1999年に敷地の北側に建設されたのが、現在Landsburger Alleeにある多目的ホールVelodromである。

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あいにく、これらの写真を撮ったのがいつだったか記憶にないのだが、2000年より前なのは間違いないと思う。現在はこの長い陸橋も一部を残しただけで、修復されている。
余り利用しない路線なので自分で撮った写真がないのが残念だが、Wikipediaより以下の2枚の写真を参考のため拝借したいと思う(2006年に撮影されたもの)。

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©Andreas Steinhoff

ところで、この陸橋、東独時代にはその余りに荒れ果てた状態から人々の間で「長い嘆き」、「長い不幸」などと呼ばれていたそうだ。

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by zaichik49 | 2009-08-27 18:46 | ベルリン

チェコへの小旅行 〜プラハの中の東欧〜


今回のプラハ滞在中に感じた事は、噂通り観光客が多いこと(それでも許容範囲)、東欧の他の街に比べて洗礼されていて、オシャレだということ。

街の中心にあるカフェやレストランの内装もそうだし、モスクワなどと比べても変に取って付けたような不自然さもなく、値段的にも非常に良心的で好感が持てる。「東欧のパリ」と言われるように昔から意識がそちらに向いていたからなのか。

それでも、街を歩いていると自分にとっての「東欧あるいは東」の匂いのする物たちに出会った。

例えば、ランプ。

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古い工場跡と思われる建物。

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そしてメトロ。ハンガリーのブタペスト、ロシアのモスクワにあるメトロなどと何かしら共通するテイストがある。

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なぜか、こういった東テイストが嫌いではないのだから不思議なものである。

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by zaichik49 | 2009-08-20 21:05 |

チェコへの小旅行 〜プラハのカフェ2〜


プラハへ行っても気になるのはカフェ。
この街でも芸術家や作家、ジャーナリストらの交流の場となっていたカフェ文化の名残が伺える。

ベルリンのカフェとは異なりウィーン風の少し格調高い雰囲気がありながらも堅苦しすぎず、とても居心地の良いカフェに巡り会った。

まずはこちらGrand Café Orient。

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入った瞬間に一目惚れ。2005年にリニューアルオープンしたそうだ。
このカフェはキュビズム博物館が入ったDům u černe matky boží (The House of the Black Madonna)の2Fにある。
この「黒いマドンナの家」はチェコスロヴァキアの現代建築家を代表するJosef Gočárによる。
夜に撮った写真なので少し分かり辛いかもしれないが独特のフォルムを持つ建物だ。

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実は、プラハと言えば「アールヌーボー/ミュシャ」くらいの前知識しか持ち合わせておらず、ゴチャールのこともキュビズムがプラハで栄えたことも全く知らなかったというのが正直なところなので新しい発見になった。
ミュージアムショップで「チェコ建築のキュビズム」を購入。

街中で偶然見かけたキュビズム建築はこの他に、写真がうまく撮れていないのが残念だが、現在は警察が入っている旧Trade Union Buildingだった。

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この次、プラハに出かける機会があればキュビズム建築ツアーでもしてみたい。

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by zaichik49 | 2009-07-05 22:34 |

まだまだ開発中


一昨日はハンブルクのお姉さんがベルリンに来ているというので、アルト・テーゲルまで足を運んだ。
Chauseestr. (シャウセー通り)を北上する道中に解体間近と見られる廃墟と化した建物に遭遇。

「あれは撮っときたいなぁ。」

と思いつつ、テーゲル方面へ。

テーゲル湖に面したカフェでアイスをたらふく食べ、ハンブルクへ向かうお姉さんと別れたすぐ後、雷雨がやってきた。激しい雨を通り過ぎ、再びChauseestr.に入った頃には雨も上がった。

「ちょっと撮るね。」

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と車を停めてもらい何枚か撮影する。
ベルリンは未だに廃墟と化した建物が散在するが、気付いたら全く違う建物に変わっていた、ということがほとんどである。壁崩壊から20年、何度も目の当たりにしてきた変化だが、フリードリヒ通りの延長にあるにも関わらずまだまだ空き地の広がるシャウセー通りにもようやく開発の波が到達したというところか。

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引っ越しを余儀なくされた年に物件を探した際も、シャウセー通り近辺に空き物件が多かったような気がする。今はまだ周りに何もない状態だが、今なら引っ越しするにはいいタイミングなのかもしれない。がらーんとしているようで実は意外に便利な場所にあるからだ。

これからどう変化していくのか楽しみでもあり、同時に悲しくもある。
壁間際の人工的な辺境地帯がどんどん普通の街並に変わっていくからだ。
時間の波には逆らえないが、歴史の傷跡というかそんなものがコンクリートに飲み込まれていくのも少し切ない気がする。

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by zaichik49 | 2009-06-02 00:51 | ベルリン

元日の散歩から


明けましておめでとうございます。

大晦日から元日にかけ、相棒のお姉さんとその9歳の息子がハンブルクから遊びに来た。
風邪を引いてはいたものの、「赤い市庁舎に行きたい!」という子供のリクエストに答え、薄ら雪の積もる曇り空の中、皆でてくてくアレキサンダー広場に向かって歩く事になった。

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相棒とお姉さんは西ベルリン生まれのベルリナー(ベルリンっ子)。ふたりは市庁舎を目の前にしてこんな話を交わしていた。「ほら、あのこと覚えてる?DDR(ドイツ民主共和国、旧東ドイツ:Deutsche Demokratische Republikの略)に来て食べたあの角の辺りにあったインビスのソーセージ。まずかったね、あれは!あの改装された辺りの建物もなんにもなくて随分ひどかったし。」

こんな話を聞いていると、壁崩壊からたった20年しか経っていないのだから、ベルリンという街が他の州都に比べて貧乏で、未だに日本からの直通便もなく経済的に魅力ある街になり得ないのも仕方ないのかも、と改めて納得してしまう。

市庁舎から次の目的地のハンブルガーバーンホーフへ行くため、シュプレー川沿いに向かうとこんな光景が飛び込んで来た。

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「あれ?なくなったよね、共和国宮殿。」
「共和国宮殿って何?」と息子。
「DDR時代のかなり重要な建物で文化イベントが行われたホールなんかが入ってたところだよ。」
「何で壊したの?」
「アスベストのせい。身体に悪いから。でも、壊すまで随分色んな議論があったんだ。もっと昔にはベルリン宮殿があったところなんだけど、DDR政府が取り壊しちゃったんだ。」
「ふ−ん。」

ハンブルク生まれの9歳の息子にとってはDDRと聞いてもなかなかピンと来ないんだろう。壁崩壊後に生まれた世代にとって、DDRはすでに過去の歴史的産物に過ぎない。

ベルリンに来た時から周囲の建物にとけ込まず幾分目障りだった建物が、跡形もなくその姿を消しているのを目にすると、ちょっとセンチメンタルな気分になった。こうしてどんどん東ドイツの名残がベルリンから消え続けていくのを今までに何度も見て来たからだ。

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上の写真を撮った時には見えていなかったが、後で見てみるとこんな落書きがあることに気付いた。「DDRは存在しなかった。」東ベルリンの人たちは、DDRの象徴的建物が取り壊されたことをどのように感じるものなのだろう?

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また、ベルリンの一等地にだだっ広い空き地が出来た。

ここはベルリン美術館島の一連としてベルリン宮殿を象った文化施設の建設が計画されているそうだが、資金繰りに手間取っているとかで、実際に着工開始に漕ぎ着けられるのはいつのことやら。空間とアイデアはたくさんあるが、実行になかなか移されないところが何ともベルリンらしいし、そんなベルリンが好きなのである。

他にもいくつか取り壊し最中の写真が見つかったので、懐かしむためにも載せておこう。
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Dec.2007
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Sep.2008

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by zaichik49 | 2009-01-04 06:28 | ベルリン

アーティスト


これはいつ撮った写真だろう?
とにかく2000年より前なのは確かなのだが、あいにくメモが見当たらない。
ただ、この写真を撮るのがいかに大変だったのかということは、まだ記憶に新しい。

ロシアにも何度か足を運んでいて、少しロシア語も話せるようになってきた頃だった。
季節は?
これも余り記憶にない。

「あそこ、散歩していて変なところあったよね?線路の側で。どこだったっけ?
もう一度行って写真でもと思ったんだけど。」

「あー、あそこね。道の名前書いておくから聞きながら行ってね。」

みたいなことだったと思う。

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なぜか時間だけ覚えている。夕方の8時頃でまだ日が幾分あった(ということは夏だ)。線路沿いのながーい道に延々とガレージのようなものが建っていて、人通りも少なく一人で歩くのにはちょっと気の引けるようなところだった。

案の定、てくてくカメラ片手に歩いているとガレージの前で作業している数人に「ひゅーひゅー」言われたりもした。やれやれ、と思いながら彼らをやり過ごしてカメラを向ける。

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何の意味もないガレージなのに、何かに惹かれたのを覚えている。
そうでなきゃ、こんな辺鄙なところにわざわざ一人で戻ってきたりしない。

ところが、すぐにそれを後悔することになる。

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ふいに背後から声がしたのだ。
「ちょっとお嬢さん、ここで一体何をしているんだ?」

後ろを振り向くとそこにはなんと3人の警官がいるではないか。
「写真を撮っているのですが。」
と答えるが、彼らはこういうではないか。
「ちょっとそこの車へ来てもらおうか。カメラを渡しなさい。」
これはマズい。カメラだけでも取り返さねば。
「パスポートを見せなさい。鞄も渡しなさい。」
ドイツではあり得ないことだが、ロシアではこのような警官の取り調べは日常茶飯事である。ただ、車に乗せられて身ぐるみ剥がされたのは勿論これが初めてである。

ヤバイ。

どこに連れて行かれるのかも分からず、とにかく冷静になって様子を伺うしかない、と腹をくくることにする。

そんなこちらの気も知らず、わざと携帯している銃をがちゃんと脇に置いてみせたりする。これは怖がったら負けだと。
「ちょっとすみませんが、ベルリンから来た観光客、いえアーティスト(観光客よりカメラマンの方がこの状況では恐らく自然に聞こえる)であそこの写真を撮っていただけなのにこれはどういうことなんでしょうか?」と聞いてみる。

「いや、スパイだろう。あんなところで写真なんて撮る意味がない。」
「(スパイって・・・)だからアーティストだって言ってるじゃないですか。カメラだけは返して下さい。日本大使館の知人に連絡しますよ(勿論、知人なんていないのである)。」
「君、モスクワのどこに住んでいるんだ?え、ベルリンから来たのか。ロシア人の彼氏でもモスクワにいるのか?」

(ん?なんだこの質問は?もしかしてヒマつぶしか、これは??)

「ええ、まあ。まだ結婚はしてませんけどね。」
「君、名前は?僕はアンドレイ。」

(やっぱり・・・これじゃナンパじゃないか・・・)

とまあ、こんなわけで何とか暇な彼らの気を紛らわそうと、調子良く話しに乗ることにする。それ以外、助かる道もなさそうである。15分くらいして着いた先はしかし、警察署。しかも建物の中に入ると20人くらいわさわさ警官がいるではないか。

私のカメラや鞄をあーだこーだ言いながら、ひっかき回している。

さすがにそこで、堪忍袋の緒が切れた。
「何でも良いけど、カメラだけは返してもらわないと困るんですが!」
そして自分でも驚いたことに、なぜかここだけドイツ語で怒鳴っていたのだった。

これがしかし効果アリ。
それを聞きつけた上司らしき人物が奥から顔を出し、3人の警官に向かって「もう彼女を帰してやれ。」と一言。

全ての所持品を取り戻し、緊張が解れたせいでふらふらになって外へ出た。

「それで君、全部返してもらったの?」と別の警官。
「ええ・・・」
「それは君ラッキーだったね。メトロまで乗せて行ってあげようか?」
「・・・いえ、結構です。(ニィエット、スパシーバ。)」

ラッキ−って一体なんなんだ。
もう頼むから放っておいてくれないかな。

もっと呆れたのは、この話を這々の体で帰ってから報告した時だった。

「〜って、こんなことがあったんだけど。」

「ハハハハ!それは面白いことがあったんだね!」

まーったく、心配なんてしてくれないのだ。
しかもそれをうれしそーに友人に電話で話しているではないか。

だめだ、完全にマヒしてるよ、モスクヴィッチは。

と、その時は呆れ返るほかなかった。
身ぐるみ剥がれていた可能性もあったわけで、無事に帰還したのだからもっと労ってほしかったのだ。「それは大変だったね!無事に帰れて良かったね!」とかなんとか。

これは今思い出してみてもかなりトホホな話である。


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by zaichik49 | 2008-07-27 04:15 | モスクワ

モスクワの建築(2)


「レニンスキー・プロスペクトのメトロの側にも面白い建物があるから行って来たら?」と言われ、カメラ片手に出発。
「目印はね、壁に長い梯子みたいなものがある建物だから、すぐ分かるよ。」

メトロの駅から少し歩くと確かにそれらしきボロボロになった建物があった。
「本当にこれかなー?」と懐疑的にならざるを得ないほどの壮絶さである。
ベルリンでも当時は廃墟同然の建物に見慣れていたはずだが、これはそれにも増して
ひどい状態なのである。

「やれやれ、一体なんでこんなところまで来て、こんな廃墟の写真を撮る羽目に
なるんだろう。」などと思いつつ、見れば見るほど愛着の湧く建物に向かってシャッターを切った。当時のベルリンが好きなくらいだから、我ながら廃墟好きなんだと思う。

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さすがにこの時は建物の中には入れなかったので、ネット上で見つけた写真も載せておこう。

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© МУАР / I.S. Nikolaev in cooperation with K.M. Sokolov. Student Dormitory - Communal House, Moscow. 1928-1930
こちらで見つけた写真を一部トリミングしたもの。

この学生寮も例の構成主義建築であるが、Nikolaev に関する情報がネット上に余りなく
残念ながら詳しいことはまだ書けないがベルリン工科大学のサイトにも内部の写真が掲載されているのでご参考まで(項目4を参照のこと)。ただし、こちらは2006年のサイトだが、内部の状態はさらに悪化しているように見受けられる。ただし、どうやらこの学生寮についてはモスクワの建築研究所が修復を受け持つことになったようだ。

今頃、新しい姿に生まれ変わっていることを願うばかりである。

この建物を撮影したのがいつだったのかは余り覚えていないが、冬のモスクワで写真を撮るのはその寒さがカメラにとって大敵だった。余りにも気温が低いため、普通にぶらぶら外気に当てているとすぐにバッテリーが上がってしまうのである。そう言えば、一眼レフを購入する時も、店の人にどこで使うのか?と聞かれ、「モスクワとか寒いところかもしれません。」と言うと、「じゃあ、キャノンよりニコンの方が丈夫ですよ。」と言われ、ニコンにしたという経由がある。
ボディーを温めるために、分厚いコートの下にニコンの一眼レフをしまい込んで歩いていたのであるが、撮影が終わった後にそのままメトロに乗ったところ、

「デーブシュカ(お嬢さん)、ここに座ると良いわ。」

と女性が席を譲ってくれるではないか?なんでだ?と思ったら、カメラで膨らんだコートが目に入った。思わず、コートの前を開け、

「いえいえ、カメラなんです・笑」

と言ったら、皆に笑われてしまった。
モスクワのメトロも混んでいるが、彼らは非常にマナーが良い。こんな風にすぐに席を譲り合ったり、降りる時も前の人に必ず「次、降りますか?」と確認し合って押し合いへし合いすることもない。これは、結構意外に感じたことだった。


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by zaichik49 | 2008-07-21 01:12 | モスクワ


ベルリン在住、ベルリナーによるモスクワ体験記も一段落。今後も気になるロシアや現在のベルリン生活の中で想うことをつらつら書いていこうと思います。


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